2017年2月28日火曜日

若さというやつ

若さなんて一瞬の夢
だからこそ
そこで夢を見ておかなかったら
一生悪夢にうなされる

俺たちが若い時に見た夢が
あれで足りたのかどうかは分からないけれど
あれがあったからこそ
今、別の夢を見ることができている


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2017年2月27日月曜日

『東京ゴッドファーザーズ』って知ってた!?

 Amazonプライムで映画を探していて、何気なく見始めた『東京ゴッドファーザーズ』。抱腹絶倒で、息もつかせぬ展開で、とんでもなくおもしろかった。
 今敏監督。今まで知らなかった。うかつ。4本の長編アニメとテレビシリーズを作って、46歳で亡くなっている。


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2017年2月26日日曜日

アルバムへ向けて発進

 河村博司君のプライベート・スタジオへ。アルバムへ向けてのレコーディング・プロジェクトが静かに始まった。

 まずは〈2人のはるか〉のボーカルとアコギの録り直し。
 30周年の時に、俺のパーソナルバンドWonder 4とレコーディングした曲だ。メンバーと夜にスタジオに入ってアレンジを固め、そのまま別のスタジオに移って、朝までかけて1曲を仕上げた。

 4年たって、歌詞を1カ所変更したこと、メロディへの歌詞の乗せ方が1カ所変わったこと、当時はボーカルとアコギを同時に録音して、そのテンションは好きだったんだが、次のアルバムに収録するために改めて歌い直したかった。

 当時のレコーディングでは、アコギはGibson Doveを弾いた。今回、他の選択肢として、Martin D-28と、最近ずっとライヴで弾き込んでいるGibson J-45がある。プロデューサーとしての河村君に「どのアコギにしようか?」と相談。
「J-45だと乾きすぎという気がするので、乾き感と濡れ感が同居するD-28にしましょう」という心強い意見をもらった。

 まずはアコギのダビング。ギターを替えたことで、ガシッとしたサウンドになった。
 写真は、ぜいたくにマイクを3本使っているところ。

 ボーカルは、いつものことなんだが、何度も歌うことはしない。俺の場合は、最初の方で歌った時のテンションの方がいいことが多いからだ。歌いすぎると、気持ちが流れてしまう。
 オケとのバランスを取るために、軽く流して歌い、「さあ録ろう」と、気持ちを正す。今回も5回くらいで納得できるテイクが録れた。

 スタジオ・ワークの後は、軽く飲みながら、次にレコーディングする曲のアレンジを話し合っていく。



photo : Takuji


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2017年2月24日金曜日

『尾崎豊 Forget Me No』

 先日取材を受けた、別冊宝島『尾崎豊 Forget Me No』の確認用ゲラが届いた。
 「証言 尾崎豊とその時代」というページで、同時代を生きたシンガー、大友康平さん、ダイアモンド☆ユカイさんと共に、俺のインタビューが掲載されている。
 発売は4月7日予定ということ。ぜひ読んでね。


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2017年2月23日木曜日

〈ONE〉スタートまで、あともうちょっと

 リニューアルしてスタートする〈ONE〉。最後の詰めの作業に入った。想定していたより時間がかかっちゃって、待たせてごめん。
 〈ONE〉メンバーじゃない人にも、そのコンテンツの一部を見てもらえるページを用意した。スタートしたら、ちょっとのぞいてみてね。素敵な広場ができあがったよ。




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2017年2月22日水曜日

ベチコ その1

 来月の荻窪 BUNGAでベチコと新しくやる曲の譜面書き。

 ベチコこと、磯部舞子との出会いは、ちょっと不思議だった。

 2010年10月、小平市にあるローリング・ビーンズという喫茶店で、津田塾大学のメディア・スタディーズ・コースの学生さんから取材を受けた。
 その喫茶店は、以前から俺のCDを精力的に販売してくれているメーカーの女性の旦那様が経営している店だった。
 取材が終わった後、ご夫婦から、近所に住んでいてたまたま顔を出していたベチコを紹介してもらった。
「へえ、バイオリン弾いてるんだ。ちょっと聴かせてくれない?」
 彼女はクラシックの曲を弾いてくれた。
「もっと他の感じのやつも聴かせてよ」
 彼女が弾いたのが俺の大好きなアイリッシュの、インストロメンタルだった。

 その日ご夫婦から「狭いですけど、ぜひここで歌ってくれませんか?」と言われ、1ヶ月後の11/13、シークレット・ライヴをやることになった。お店の常連のみなさんが来てくれて、とてもアットホームなライヴになった。
 客席にベチコがいるのに気づいた。せっかくだから何か一緒にやってみたいなと急遽セットリストを変え、アンコールで何の前触れもなくベチコを呼び込んだ。
 「キーは“E”だよ」とだけ言って〈傷だらけの天使〉をやった。後で聞いたんだが、当時のベチコはまだコードという概念がなかったそうだ。
 掲載した写真はその時のもので、初公開。まだトレード・マークの帽子をかぶっていない。
 ライヴが終わり、「せっかく知り合ったんだし、今度はちゃんとリハーサルをやってライヴやろうよ」と誘った。

 そして年が明けた2011/1/28、初めてベチコを迎えたライヴを開催した。YouTubeの映像はその時の〈談合坂パーキングエリア〉と〈前夜〉

 個人的には、ボブ・ディランがスカーレット・リヴェラを発見した時の気分だった。
 長くなりそうだから、続きはまた。




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2017年2月21日火曜日

タイトル

 映画のタイトルが日本語の場合、単語と単語の間に「の」が入ることが多い。
 『ハリー・ポッター・シリーズ』は「と」と「の」で統一されている。ジブリ作品は9割が「の」だ。

 俺の曲タイトルも、けっこう「の」が多い。
 「Aの」「西からの」「煙突の」「下から2番目の」「傷だらけの」「土曜の夜の」「夢の」「嵐からの」「夏の」「絶望の」「紫の」「虹の」「天使の」「孤独の」「真夜中の」「光の」「今夜の」「ある夜の」「種の」「最初の」「路傍の」「オリオンの」「天国の」「月曜の」「祭りの」「夢の」「2人の」「パパの」……いやはや。
 こういうのって、気にし始めると止まらなくなる。


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2017年2月20日月曜日

広東語 での〈Show Time〉

 新しい〈ONE〉に、2015年に4週間滞在した香港での写真を掲載する準備をしている。

 ちょうど滞在していた時に、香港の3人組ユニット、Grasshoppeのプロダクションから「〈Show Time〉をベスト・アルバムに収録したい」という連絡が入ったと、マネージャーからメールをもらった。
 検索したら、30年のキャリアということで、アリーナ・クラスでの映像が見れた。日本で言ったら少年隊みたいな立ち位置かな。CDショップに行って探してみたら、ベスト・アルバムが何セットか置いてあった。
 たまたま香港にいた時にそんな連絡をもらうなんて、あまりにすごすぎる偶然で、びっくりしたっけ。

 〈舞娘〉というタイトルで〈Show Time〉のライヴ映像を見ることができる。



photo : Takuji


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2017年2月19日日曜日

言葉

 長年、言葉を生業にしているせいか、耳につく日本語がある。

「させていただく」
 何年か前から便利に使われ始めて、記者会見なんかでは必ず聞く。何もそこまでへりくだらなくても、と思ってしまう。

「〜することによって」
 最近よく耳にする。自分がやっていることや考えていることを、ほんのちょっとだけ高尚に思わせたいという、いじましさを感じてしまう。

「絶対〜だと思うんですよ」
 どっちなんだ。

「しかも」
 重ねてつけくわえるための接続詞なんだけど、なんだか手軽に使われている。


 長年生業にしている言葉が、変わっていくことがある。

「82ホーンのスクランブル(Aspirin)」
 今はホーンという単位は使わず、デシベルに統一された。

「カード電話の赤い数字は(P.M.11:11)」
 まさか電話を携帯する時代が来るなんて、あの歌を作った80年代後半には考えもしなかった。

 こういうことがあるから、特に新しい言葉を使う時には細心の注意を払うようにしている。例えば「スマホ」という言葉が5年後にあるかどうか分からない。いや3年後だって分からないな。



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2017年2月18日土曜日

The Beatles

 いつも応援してくれる人たちがプレゼントしてくれた〈ザ・ビートルズ  EIGHT DAYS A WEEK〉を見た。
 デビューしてから熱狂のワールドツアーを続けた1965年くらいまでを丹念にドキュメントしている。ビートルズの映像はかなり見ているが、初めて見た映像も多くあった。

 当時のライヴを見て改めて驚くのが、PAもなく、足元のモニターもなく、観客の金切り声の中で、すばらしくバランスの取れた演奏をしていることだ。楽器と歌のバランス、ボーカルとコーラスのバランス。今だったらチャンネルごとに音を録ってミックスするところだが、60年代のライヴだから、そんなことはしていないはずだ。
 そして「自分たちの演奏する音が観客の声にかき消されてまったく聞こえなかった」ということなのに、ボーカルが音を外すこともない。ビートルズは恐ろしく鍛えられたライヴバンドなんだってことが分かる。

 ケネディ大統領が暗殺され、公民権運動のまっただ中のアメリカで、ビートルズが黒人差別について言及したことで、初めて会場に黒人の姿が見られるようになったという。
 一石を投じることはできたんだろうが、世界の情勢を変えるまではいかなかった。

 それで思い出したことがある。1984年、ブルース・スプリングスティーンの〈Born in the U.S.A Tour〉のニュージャージーでの凱旋ライヴを見に行った。俺の記憶では、アリーナにつめかけた観客は白人しかいかなった。

 ツアーの合間のレコーディング風景も少し見ることができる。
 これも驚くことなんだが、デビュー当時のレコーディングは、たった4チャンネルしかなかった中で、あれだけのサウンドを作ったことだ。

 もうひとつ思い出した。アルバム《花を育てたことがあるかい》のレコーディングの時、ある曲で、アレンジャーがドラマーに「ここのオカズは、リンゴ・スターの感じで叩いてください」と言ったら、ドラマーがすごい顔をしかめて嫌がったことがあった。
 リンゴ・スターのドラミングは、総じて軽くてご陽気と思われているところがあるが、とんでもない。あんなに変幻自在で魅力的なドラマーはいない。

 ビートルズの作品は、聴くたびに、見るたびに、新しい発見がある。


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2017年2月17日金曜日

熱意

 先日の千葉県 柏でのライヴがきっかけになって、千葉県 佐倉市でのライヴが決まった。地元の方と、協力してくれる方の熱意が形になる。きっとすばらしいライヴになる。
 ライヴは7月の予定。詳細が決まったお知らせするよ。

 そしてこれはフレンドシップから生まれた、横須賀でのジョイントライヴも決まりそうだ。横須賀で歌ったことはないな。これは秋になりそう。

 小さな一歩が次の一歩を生み出す。熱意は熱意となって帰ってくる。


2017年2月16日木曜日

卓治写真館

 スタッフとスカイプでつないで、2時間かけて、新しい〈ONE〉のコンテンツ「卓治写真館」に写真をアップする方法を伝授してもらった。
 自慢じゃないが、パソコンに関するスキルはすごい低い。ちょっと脳が沸騰する中、何とか写真をアップすることができた。
 最近あまり写真を撮るモードになってなかったから、ひとまずここ数ヶ月で撮った写真を10枚ほど。けっこう綺麗めの写真をセレクトしたけど、今後はツアー先で、ご当地B級グルメの写真とか、グダグダの打ち上げの写真なんかもアップする予定だ。
 1枚だけちょっと予告編で。



photo : Takuji


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2017年2月15日水曜日

Translators

 昨日の話に続いて。
 友人が紹介してくれた山本安見さん。もちろん名前は知っていた。ビートルズ、サイモン&ガーファンクル、クイーンなどの歌詞の翻訳家だ。
 知り合って以来、友人と一緒に何度も食事したり飲んだりした。今は沖縄に住んでおられて、俺が沖縄でライヴをやると見に来てくれる。
 俺たちの青春を日本語に訳してくれた人。

 三浦久さんは、ブルース・スプリングスティーン、レナード・コーエンなどの歌詞の翻訳家。
 俺たちのロックを日本語に訳してくれた人。

 一昨年初めて一緒にライヴをやることができた中川五郎さん。60年代後半から歌い続けているシンガーで、ボブ・ディラン、U2などの歌詞の翻訳家。それだけじゃなく、小説家チャールズ・ブコウスキーの翻訳家というイメージもある。
 俺たちのパンクを日本語に訳してくれた人。


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2017年2月14日火曜日

三浦久さん

 2012年、長野でライヴをやった時、ファンの人がCDをくれた。その前年にリリースされた三浦久さんのアルバム《祈り》だった。
 “三浦久”という字面は、俺のフェバリット・シンガーたちの歌詞カードの最後に“翻訳者”としてクレジットされているのを何度も見ていて記憶していた。歌も歌っていたのかと、その時は思った。
 アルバムを聴いて〈祈りの歌〉という楽曲が深く心に染みた。俺はそれまでライヴでカバーをやることはほとんどなかったが、「この歌を歌いたい。みんなに聴いてほしい」と思い、2ヶ月後のライヴで歌った。

 三浦さんとジョイント・ライヴをやりたいと思い立ち、メールでは失礼だと思って手紙を送った。そこからやり取りが始まり、2013/5に東京でジョイント・ライヴが実現した。その日「初めまして」の握手を交わした。
 同時進行で、三浦さんが長野県 辰野町で経営しているライヴハウスOREADでのイベントに誘っていただき、6月にOREADへ行った。「こんな長野の田舎に、こんなにすばらしいライヴハウスがあったのか」と感激した。いつかここでソロ・ライヴをやりたいという夢が生まれた。

 その後、何度かお互いのイベントに出演し、2015/7、念願だったOREADでのソロ・ライヴを開催することができた。全国からお客さんが集まってくれ、最高の夜になった。ライヴは2016年にもやり、今年も夏の終わり頃にやりたいと思っている。

 「僕のアルバムレコーディングに参加してくれないか」と三浦さんに言われた時は、即答で「喜んで!」と答えた。
 2015/8、三浦さん宅の広いリビングにレコーディング機材と楽器を持ちこみ、レコーディングが行われた。俺はアコースティック・ギターとコーラス。他のミュージシャンは“やぎたこ”というアメリカン・ルーツ・ミュージックをプレイする2人。三浦さんの歌を最大限に伝えるため、最小限の音数だけでプレイした。
 俺のグランド・デザイナーのコヤママサシ君が写真とデザインで参加し、アルバム《九つの物語》は2015/12/13にリリースされた。

 改めて考えると、三浦さんと知り合ってまだ4年もたっていない。でも深く心でつながっているように感じる。




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2017年2月13日月曜日

ONE

 2004年にスタートした、オフィシャル・ファン・コミュニティ《ONE - Oyama Takuji Network Eyes》
 13年目のリニューアル。
 メンバーのみんな、待たせちゃってごめんね。こんなコンテンツを準備して、スタートさせようと思ってる。

■ 散文詩 / 歌に進化する前の書き下ろしの詩を、BGM+アートワークと共にポエトリー・リーディングします
■ Live Video / 最新のライヴ動画を、いち早くUPします
■ Live Photograph /最新のライヴフォトを、随時UPします
■ Aspirin Radio / 卓治のおしゃべりと最新ライヴテイクをオンエアするラジオショーです
■ 卓治写真館 / 卓治がiPhoneで撮影した写真を、自由気ままにUpしていきます
■ Photograph / ロケの写真を中心に、普段は見られない卓治の表情を表現します
■ Archive / 13年以上の歴史があるONEの膨大な企画を少しずつ公開 途中入会でもお楽しみいただけます
■ Birthday Message / あなたのバースデイに、卓治から肉声のお祝いメッセージが届きます
and more!

 2月中にはオープンさせるから、楽しみにまっていてね。



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2017年2月12日日曜日

目黒寿安君(と)

 シンガーでギタリストの目黒寿安じゅあん)君が、横浜 Thumbs Upに来てくれた。

 彼との出会いも素敵だった。去年の頭、彼からメールをもらい、「コンテストに出場する曲として〈種の歌〉をインストロメンタルにアレンジしたテイクを使ってもいいか?」という内容で、音源も添付されていた。すばらしい表現力だった。「ぜひ使って」と返信した。
 その後、俺のライヴを見に来てくれて、終演後に話をし、「今度、ジョイント・ライヴをやろう」と提案した。去年の9月に実現したライヴでは、アンコールでそれぞれの曲を2曲ずつ持ち寄ってセッションした。すばらしいアンサンブルになった。
 ジョイント・ライヴでセッションすると、「やり切った」という気持ちになるものだが、その時は「やり足りない」と思った。

 彼が持参してくれた新しいアルバム《hard times better times》を聴いた。
 得意のギター・テクニックを使わず、シンプルなギターに乗せて11分歌いきる〈セカンドライン〉からの後半の流れは胸にドシンと響いた。
 11歳で渡米して2001/9/11にニューヨークにいたという彼の経歴を思い出してしまう。


 Thumbs Upの終演後、彼と話をした。
「一緒に音楽を作らない?」
 具体的なことはこれからだが、おもしろくなりそうだ。


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2017年2月11日土曜日

バツが悪い

 Thumbs Upでのリハーサルを終えて、近くの店でコーヒーを飲んでいた。
 すぐ近くのテーブルにカップルがいて、楽しげに話している。男性がスマホでライヴ映像を流しながら女の子に何か話し始めた。
 ん? その曲〈最終電車〉だ。
 プライベートでは、気づかれないようにソッと気配を消しているんだが、めっちゃ至近距離だし、すげえバツが悪いし、いっそのこと気づいてくれないかなと思ったんだが、なかなか気づいてくれない。
 しばらくして、やっと気づいてくれて、「あ、本人だ!」。いや、そうですけど。
 そこから20分ほどお店にいたから、それはそれでバツが悪い。
 本番15分ほど前に店を出ようとしたら、2人はまだいる。
「えっと、ライヴ来てくれるんだよね?」
「はい、行きます」
 よかったあ。ただのものすごい偶然だったのかと思った。

 本番では生の〈最終電車〉をプレイ。楽しんでくれたかな。


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2017年2月10日金曜日

横浜 Thumbs Up

 江口君の変幻自在のギターと、お客さんのすばらしいノリと笑顔のおかげで、昨日は最高の夜になった、
 Thumbs Upは音響が完璧だ。音がいいと、歌にニュアンスや表情をつけることができる。そうじゃない小屋だと“棒”みたいな歌い方になってしまう。その差はものすごく大きい。

 ちょっとおもしろいこともあった。今日はちょっとバタバタしてるんで、明日書くね。




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2017年2月8日水曜日

取材

 半蔵門にある宝島社へ。
 没後25年のタイミングで、尾崎豊君を特集する別冊宝島が企画され、「同時代を生きたシンガー」の1人として取材を受けてきた。
 約1時間、尾崎君との思い出、交流、彼が今の時代に残したものについて話した。

 3月に出版されるらしいから、ぜひ読んでね。


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2017年2月7日火曜日

下から2番目の男

 あ、先越されちゃった。

 〈ONE〉に動画を掲載しようと思ってた〈下から2番目の男〉with 十字郎(千葉県 柏 やなぎや食堂)

 ま、楽しげな感じの動画だから、よしとしましょう。
 がんばれよ、十字郎


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2017年2月6日月曜日

あと1曲

 横浜 Thumbs Upで歌うのは去年の6月以来。音響がすばらしくステージも照明もちゃんとしてて、歌に集中できるライヴハウスだ。
 前回はバイオリンの磯部舞子ことベチコと、その前はサックスの宮本美香ちゃんと、その前となると、2013年にThe Conxを迎えた30周年ライヴになる。どのライヴも強く印象に残ってて、お客さんのノリもすばらしかった。

 江口君とやる分のセットリストはだいぶ前に決めて音資料などを送っている。2人で初めてやる曲もたくさんある。
 中盤、ソロで歌う曲のセレクトをしている。いっつもそうなんだが、あと1曲がうまくはまらない。ここで歌う最適の歌があるはずだと、知恵をしぼる。
 いずれにしろ、相当濃いライヴになることは間違いない。


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2017年2月5日日曜日

ONE - Oyama Takuji Network Eyes

 オフィシャルファンコミュニティー〈ONE〉のリニューアルスタートのため、2人のデザイナーが気合い満載で作業してる。もうすぐ具体的な告知を始められそうだ。

 俺の方では、これまで年に4回書き下ろしで掲載してきたポエトリー・リーディングを制作。そして、おしゃべりと最新ライヴテイクを掲載するラジオも、この後録音する。

 今回のリニューアルでは、パソコンだけじゃなくスマホでストレスなく視聴できるシステムを構築中だ。告知までもう少し待っててね。




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2017年2月4日土曜日

かすみ

 かすみを食って生きてきた。
 10代の頃のかすみは甘くて酸っぱくて極上の味だった。大人たちは全員「そんなもん食ってると、いつか腹こわすぞ!」と頭ごなしに決めつけた。

 30代に入ると、かすみの味はほろ苦さを増してきた。同年代の友人たちからは「おまえはいいなあ、今もうまそうなもの食ってて」とため息混じりに、やっかみ半分で言われた。

 そして今や、かすみはただただ苦い。それでもやっぱり、かすみを主食に生きている。
 たまに若い連中に聞かれることがある。
 「それ、おいしいですか?」
 君次第だ。


 俺よりもはるかにかすみのうまさを味わいつくし、俺よりもはるかにかすみの不味さを体感しながら早世していった尾崎豊君。
 お互いのライヴを何度も見に行き、居酒屋で飲んで語り、でも最後に代々木体育館でのライヴ終了後の楽屋で会った時は人に心を開かない暗い瞳になっていた、俺が知る限り最もピュアなシンガー。

 そんな彼の80年代と併走したギタリスト、江口正祥君とのライヴが近づいてきた。
 彼からこんなおもしろいエピソードを聞いた。
 〈15の夜〉の「盗んだバイクで走り出す」という詞を書いた彼が、打ち上げの席で酔っぱらいながら「盗んだバイクは走らない〜。だってカギないですもんね(笑)」なんてジョークを飛ばしていたとか。
 その時の彼は、俺が知っているクシャクシャなピュアな笑顔だったんだろう。

 俺が江口君とライヴをやる時は、言葉にすることはなくても、意識の中から消えていたとしても、そこに尾崎君がいる。
 生き残っていたら50歳を越えている尾崎君が、今描くラヴソングを、聴いてみたい。



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2017年2月3日金曜日

密会

 ……というわけではないけれど、河村博司君と喫茶店でミーティング。
 彼のプロデュースで、シングル〈光が降る / ばあちゃんごめんね〉〈美しい沈黙〉を作った。次のレコーディングも彼の力を借りて歌を形にすることにした。目指すは5曲。
 スタジオでのエピソードなんかも、ここに記していくから、お楽しみに!


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2017年2月2日木曜日

Museの罰

 「欧米では、3 job(3種類の仕事を持つこと)が当たり前」と聞いたことがある。詩を書いて曲を書いてステージで歌うことが3 jobじゃなくて、まったく違うフィールドで仕事をするということ。
 日本人の感覚とは、かなり違う気がする。ひとつの仕事を突き詰めてとことんやり続けることが美徳だと考えている日本人は多いだろう。
 改めて自分をふり返ってみても、音楽以外にできることが思い浮かばない。俺みたいなシンガーは、結局のところ自分のことばかり考えている。それって、あまり健全じゃない。

 4年ほど前に出会った三浦久さん
 70年代から歌い続けているシンガーソングライターで、ブルース・スプリングスティーンやレナード・コーエンなどの歌詞の翻訳家で、信州大学の英語講師をされている。これこそ3 jobだ。
 さらに、長野県 辰野町でOREADというすばらしい雰囲気のライヴハウスをやっている。何度か歌いに行った。
 もう70歳を越えているんだが、サイトのダイアリーを読むと毎日アクティブに動いていらっしゃる。見習わなきゃと思う。

 音楽の神様から歌を作るという力を授かった一握りのソングライターがいる。彼らはミューズに愛される代わりに、世間一般とか平穏無事という貢物を捧げた。
 ソングライターは、ミューズから罰を与えられた人生を送る。多分それは、幸せな人生。


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