1993年だった。滅多にないことだが、酔った勢いで男女数人連れでカラオケに行った。
シンガーを目指している女性が1人いて、みんなが歌って盛り上がっていった頃、「これ、歌ってもいいかな」と少し躊躇しながら歌ったのが、橘いずみ(今は榊いずみ)の
〈失格〉だった。
たたみかけるような歌詞をシャウトし続ける歌だ。
当時、彼女は俺と同じレコード会社の制作チームにいて、同じプロデューサーと仕事をしていた。ある日、プロデューサーが俺に言った。
「“〈欲望〉みたいな曲”が、できたよ」
シングル・カットされたこの歌が、ヒット・チャートをのぼっていることを知っていた。
同席していたみんなのリアクションは……爆笑だった。
ショックだった。
彼女は、尾崎豊と同じプロデューサーに育てられ、この頃はもう“女 尾崎豊”と称されていた。尾崎豊が亡くなった翌年だ。
尾崎豊と同じ系譜の歌が、尾崎豊が亡くなって1年後に、爆笑されている。
「自由っていったい何だい」という問いかけが、ダサいと思われる時代になっていた。アッという間に。
メッセージを伝えるシンガーにとっての暗黒の時代。俺にとっての90年代は、そんな時代だった。
今の若い世代のシンガーの歌を聴くと、そこには「自由って何だろう」という問いかけがある。この問いかけは、絶対になくならない。
あいみょんというシンガーを、ファンの人に教えてもらった。
〈生きていたんだよな〉は衝撃だった。むきだしの歌だ。〈失格〉と同じ、きな臭さを感じた。
この歌がヒットしたことで、彼女は大きな十字架を背負った。まっすぐなラヴ・ソングを歌っても「普通じゃん」と言われてしまうだろう。
それが幸せなのか不幸なのか、俺には分からない。