2025年1月22日水曜日

〈Reasons to keep singing〉(不定期掲載)

 1990/3/31、俺は九段会館のステージにいた。

 前年の3月にアルバム《夢の島》をリリースして、CBSソニーとの契約を切り、7月の後楽園ホールで当時のバンドDADとの活動を終え、気持ち的には孤立無援の状況だった。
 それでも歌は生まれた。

 デビューして7年。当時はバンドブームの真っ盛りだった。客席のみんながぴょんぴょん跳ねるものだから、会場の2階席が揺れて倒壊が危惧され、「ロックお断り」のホールが出るほどだった。
 九段会館もその例にもれず、リハーサルの時に会館スタッフが客席で監視の目を光らせていた。だがこの夜にバンドスタイルでプレイするのは、初演の〈YELLOW WASP〉1曲だけだった。


 7ヶ月ぶりのライヴだった。九段会館は古い歴史を持つ会館で、キャパは1000を超え、3階席まである。

 ステージに楽器がセッティングされ、その奥に幕が下りている。
 開演。(SEでの)大きなアンコールの声に重なり、ディズニーの〈It’s a small world〉がオルゴールの音で流れ、幕が左右に開く。ソファがあり、俺が寝そべって煙草を吸っている。横のテーブルには花束。ライヴが終わった後の楽屋という設定だ。そこからもうひとつのライヴという物語が始まる。

 アコースティック・ギターだけでステージをやることは、それまでになかった。その上、初めてハーモニカホルダーをつけてハープを吹き、新曲の〈紫の夜明け〉からスタートする。
 タカミネのギターを使っている。チェット・アトキンスモデルの白いギター。あと、もう憶えていないギターもあって、合計4本を使っている。当時はよく弦を切っていたから。
 ギターを交換しているローディーは、今や某楽器店の取締役だ。
 ピアノで新曲の〈結晶〉を歌い、ティンパニを叩きながら〈HEAT OF THE NIGHT〉を歌う。ティンパニの叩き語りをしたのは、多分俺が初めてなんじゃないかな。
 〈Passing Bell〉を歌う時、ステージ後ろにスライドが投影される。俺が撮影したものだ。当時のスタッフに、歌詞に合わせて細かく投影のタイミングを指示していたから「手が震えた」って言っていたっけ。
 後半、マンドリンのTacoさん、ベースの珍太、サックスのSMILEYが登場し、モノクロームのステージに色を添えてくれる。
 そして本編のラストで〈YELLOW WASP〉をプレイした。

 アンコールの最後で新曲の〈前夜〉を歌い、拍手の中、奥のソファに寝そべり、幕が閉じる。オープニングと同じ構図になる。
 モアアンコールとして、幕の間から登場し、アコギを弾いて生声で〈1 WEST 72 STREET NYNY 10023〉を歌った。
 俺にとっては過渡期で、転換期で、とても重要なライヴだった。ずっとバンドサウンドにこだわっていたが、この後、アコースティックギターだけで全国を回るようになる。どんなサウンドであれ、歌を届けることが何よりも大切なことだと思うようになった。それは、今に続く考えだ。


 今回の《小山卓治・夢プロジェクト》の返礼品を考えている時、その九段会館の動画が残っているはずだと、クローゼットの奥にあるVHSテープの山をひっくり返した。なんとか見つけたが、35年前のことだし、当時のスタッフが資料用に撮影していたVHSテープだから、もう劣化しているかもしれない。
 業者に依頼してデータ化してもらった。若干のよれもあり、照明が強いと顔が白く飛んでしまっている。現代のデジタルの画質には遠く及ばないが、そこには32歳の俺がいた。


 長くなってしまうが、その時期にファンクラヴ〈OFF〉に投稿したエッセイも紹介しておきたい。
 当時は音楽雑誌の取材でいろんな話をしてはいたが、心の底の本音を話すことは決してなかった。しかし3ヶ月に1回、ファンクラブの会報に載せるエッセイにだけは本音を吐露していた。
 時代が変わり、今のファンクラブ〈ONE〉でいえば、ラジオでのおしゃべりがそれに近いかな。


総ての“君”への手紙 1990/3

 前略
 元気にしているかい? この紙の上での3ヶ月に1回の手紙のやり取りでは、近況を報告するのが精一杯で、お互いが今どんなことを考えているかまで分かり合うのは少し難しかった。でも今度の3月31日は、本当にひさしぶりに君に会うことができる。僕はこの何カ月ぶりかのデートを前にして、毎日胸を躍らせている。
 君に伝えたいことが山ほどあるんだ。君に聞かせたい歌がいっぱいあるんだ。君と同じ時間を共有し、歌を歌うことで、そこに新しい理解や、疑問や、確信や、摩擦や、それら総ての新しい関係が生まれるはずだ。そして僕たちはそいつを熱く受けとめ合うことができるだろう。僕は今すごくドキドキしている。

 ざっと7年前のこと、僕はある連中との関係を結んだ。
 僕は言った。
「さあ、新しいものを作ろうぜ」
 連中は言った。
「さあ、儲けようぜ」
 去年、僕はそいつらとの関係を断った。うんざりするほどもつれた話し合いの末、金と書類と憎しみの言葉が投げつけ合われた挙げ句の、それがお互いの結論だった。
 最初の一歩の時、僕には大きすぎるスポットライトが用意された。なぜならそれは、僕だけのものじゃなかったからだ。見回すと、そのスポットの中にはたくさんの雑魚どもがニヤニヤといやらしい顔で舌なめずりをしながら立っていた。おこぼれを頂戴しようと、上目づかいで僕に下卑たジョークをつぶやいた。戦うことすら忘れ、ただ何かを咀嚼し、鑑賞し、計算高い理解の仕方しかできないやつらだった。
 しかし連中が当てこんでいた現ナマが派生しないと踏むやいなや、連中は突然、高飛車な態度を取り、潮が引くよりも早くそこからいなくなった。その時、連中にとって僕は、もう終わった人間だった。
 でも連中が気づかなかったことがある。それは、僕がプライドを持った1人の人間だったってことだ。そして、やつらの行動の一部始終を僕がはっきりとこの目で見ていたということだ。
 今そのことについて話す気にはなれない。饒舌は、公的な勝利を治めた者だけに許される。だが見ているがいい。僕がまだくたばっちゃいないってことを思い知らせてやる。僕の魂を叩きつけてやるぜ。

 ブタどもはいなくなった。僕と君と、そして理解し合うことのできる仲間たちが残った。僕はその理解者たちと一緒に新しい音楽を作っていく。誰にも左右されず、一番自分らしいやり方で。
 君にその新しい曲たちを聞いてもらえる日がとても待ち遠しい。
 3月31日はお互いに少しずつお洒落して、九段会館で会おう。

 僕たち、何度でもやり直すことができるんだ。


九段会館ダイジェスト動画(YouTube)


Photo : Junji Naito


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