2025年11月26日水曜日

富山ライヴで、全都道府県を制覇

  全国でライヴを続けてきて、まだ一度も行けていないのが富山県だった。
 その最後の県でのライヴが決まった。たくさんの人の手助けがあってのライヴだ。幸せすぎる。
 渾身の思いを込めて歌いに行くよ。

詳細と予約は、以下をクリック
〈小山卓治 ワンマンライヴ -The last prefecture-〉
■2026年4月18日(土) 富山市 ROCK BAR WILDSIDE




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2025年11月24日月曜日

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』

  映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ(Deliver Me from Nowhere)」を見た。
 音楽映画というだけじゃなく、家族とのトラウマからの回帰がテーマといってもいい。映画の中のブルースはステージで華やかにシャウトするのではなく、どこまでも深く自己の内面に入り込んでいく。
 最近よく作られるロックをテーマにした映画(ボブ・ディラン、クイーン、エルヴィス・プレスリー、ロビー・ウィリアムズなど。さかのぼればさらに多く)の中で、一番“陰鬱”で、一番胸に突き刺さった作品だった。胸が震えた。

 余談だが、ブルースが録音に使用するカセットの4シャンネルのレコーダー、TEAC 144 Portastudioを、俺も当時使っていた。

 1996年9月、オフィシャルファンコミュニティー〈OFF〉に、ブルースについて書いたエッセイがある。長いけれど、ここに記しておく。


改めてブルース・スプリングスティーンのことを考えてみた 

 1975年、19歳の僕は買ってきたばかりの《明日なき暴走》のアナログ盤に針を落とすところ。ブルースという男のサード・アルバムらしい。ハーモニカが流れだし、僕は「何だフォークじゃねえか」と煙草に火を。かたわらにはディランの《欲望》とトム・ウェイツの《クロージング・タイム》があったはずだ。
 唐突に、たくさんのイメージが頭の中で跳ね回り、演奏はグイグイと僕を引っぱり回して制限速度を越えさせる。あっという間に僕は真夏の夜のストリートに放りこまれた。そこではたくさんの男たちや女たちが、宝石のような夜を送っている。裏通りからメインストリートをのぞき見た僕は、カーニバルの熱狂の渦に巻きこまれる。そのカーニバルの先頭に立って、怒涛のようにほとばしる言葉と音を指揮しているのは、テレキャスターを振りかざして吠える路地裏の王様。
 シンプルなギターのリフ、ぶっといサックス、荒くれたドラム、コードを8分ではつらつと叩くピアノに、何か不思議な懐かしさを感じた。多分子供の頃に知らない間に耳に流れこんでいた遠いアメリカの夢のサウンド、あのゾクゾクする感じとでも言えばいいのか、それがレコードから汗のように染みだしている。その上で、割れんばかりのシャウトとかすれたつぶやきで物語を紡ぐ男は、今までに会ったこともないようなやつだ。レコードを聴きながら、僕は何度もこぶしを握っていた。すげえ、70年代のミーイズムの霧の向こうから、髭ヅラの救世主が飛びだしてきた!

 当時の僕は、プロになるという明確なビジョンも、未来も展望もないまま、バイトをしながら曲を作り、客のいないステージに立つ日々だった。ナイーブとか優しさなんて言葉が大手を振り、フォークがニューミュージックになっていくご時世に、今にして思えば僕の歌は影を背負いすぎていた。痛みを歌いすぎていた。田舎町に暮らし、すべてがどん詰まりで方向を見失っていた。
「おまえの歌は暗いよ。文字通り音を楽しむのが音楽なんだぜ」
 そう言われて反論できないでいた。違う、それだけが音楽じゃない。内心では強く思っていても、その気持ちをうまく具現化してくれるアーティストは当時いなかった。ジョン・レノンは空の上の方で所在なげにしていたし、ボブ・ディランは別のことを考えていた。トム・ウェイツは最初からうつむいていた。みんな少しずつ僕の想いとはニュアンスが違っていた。
 僕が聞きたかったのは、今まさに僕が佇んで、うなだれて、殴られた頬を押さえて立っている街角の、光と影の歌だった。このどん底から切実な想いと共に一緒になってはいあがってくれる、ピュアな魂を持った街角のチンピラの歌だった。
 ブルース・スプリングスティーン。彼こそ僕が待ち望んでいた男だった。

 1枚のアルバムを聴きながら、こんなに遠くまで旅をしたことはなかった。いくつもの街路を抜け、たくさんの人間たちとすれ違い、そして最後にたどり着く〈ジャングルランド〉の圧倒的なサックスソロ。まるで映画のタイトルバックのようにラストシーンを締めくくる。長く熱い夜が終わり、晴れ晴れしい朝が来る。そこに立ちつくす1人の男の後ろ姿。車のエンジンを切った直後の濃い沈黙。
 針が上がる。僕は黙りこんでしまった。僕の心を占拠していたのは、全力疾走を終えたランナーのカタルシスと、途方もない徒労感、飢餓感だった。
 ふと、映画『アメリカン・グラフィティ』を思いだした。たった一夜のストーリー。50年代のご機嫌なロックンロールに乗せて、ティーンエイジャーの恋があり、喧嘩、友情、別れがある。一瞬のように短くて永遠のように長い美しい夜が明けたラストシーンで、フッと音楽が途切れる。そこに続くのは、登場した男たちのその後の物語。1人は自動車事故で死に、1人は保険外交員になり、1人はベトナムで行方不明になり、1人は作家になりカナダに在住。甘美な一夜の後にあったのは、そんな冷徹な現実。
 ぽっかりと胸に空いた穴を埋めたくて、もう一度レコードに針を落とす。何度聴いても同じ虚ろさが襲ってきた。後は自分で走るしかないんだと感じた。この乾きを癒すためには、何事かを達成するためには、届かなかったゴールを自分の足で探すしかない。

 僕は新しい曲を作り始めた。そこには必ずといっていいほどブルースの描きだしたイメージが浮かんできた。ブルースのように走り、ブルースのように歌おうとした。しかし何かが違っていた。ブルースが、そしてアメリカが持っているイノセンスと楽天性が僕にはなかった。逆にアメリカが内包している孤独感だけが、ウェットさを増して僕につきまとった。僕は自分の方法を見つけなければいけなかった。

 1982年、僕は東京へ出た。デモテープをきっかけにデビューが決まったその年、《ネブラスカ》がリリースされた。《闇に吠える街》《ザ・リバー》と、虚ろな目をした顔でジャケットに収まっていたブルースは、影をずっと深くしていた。《ネブラスカ》のジャケットには顔さえなく、モノクロの荒涼とした風景に、血の赤。
 ノイズだらけの歌は、いきなり死を描く。ブルースの歌には、以前から死の影がつきまとっていた。実際に歌の中で人が死に、手痛い目に会い、心に傷を作る。倒れ、はいつくばり、それでもひとかけらの希望を密かに強く信じている。そこに僕は惹かれていた。だが《ネブラスカ》には希望すらなかった。あっさりと人が死に、なぜかと問われないまま歌は終わる。激しい孤独、激しい痛み。「後は自分で考えろ」と突き放される。
 希望がないんじゃない。ブルースはあえてそれを歌わなかった。歌わないことで逆にギリギリの希望を感じさせる。心から希望を信じることのできるやつだけが、本当の絶望を歌える。
 ブルースはまるで他人事のように、ある男やある女の物語を淡々と語る。等身大の自分を歌うことよりも、もっと難しい作業だ。歌を作る時、その男に自分がなりきらなければ歌はできない。殺人者の歌を作る時、ソングライターは心の中で人を殺している。少なくともその男と自分とに接点がなければ歌は成立しない。その歌を作る意味はない。
 僕が作る歌に登場する人間たちも、極端に言えばその誰もが僕だ。人を殺す男も、女を裏切る男も、そして女さえも僕の一部だ。だからその歌を歌うことは今でも痛い。
 ブルースも、たくさんの傷ついた人間たちを歌いながら、彼らの生きざまを背負っているはずだ。だからこそ僕はブルースを信じた。さほど売れなくても《ネブラスカ》は僕のフェバリットになった。

 翌年、僕ははからずもブルースと同じ系列のレコード会社と契約し、同業者となった。聴く側から聴かせる側に変わったことで、気持ちも変化した。例えばコンサートを見る時は、客席にいながらセンターマイクに立っている気持ちで見、リビングのスピーカーはレコーディングスタジオのスピーカーに変わった。おかげで、よほどのパワーを持ったアーティストの作品でなければ感動できなくなった。それでもまだブルースは別格だった。
 レコード会社の人間から、ブルースが新しいアルバムをレコーディングしているという噂を聞き、僕は胸を躍らせて待った。

 すでにメガヒットになったというニュースが入った頃、僕は《Born in the U.S.A.》を手にした。
 信じられないスネアの音でアルバムは始まった。2曲目、3曲目と聴きながら、ふと僕はいつものように胸が躍らない自分に気づいた。何かが違う。必死に耳を澄ませたが、聞こえてくるのは冷めたサウンドと、《ネブラスカ》よりもメロディラインのない歌と、パターン化した登場人物ばかりだ。
 男が働いている。週末に遊びに行く。女と出会う、あるいは事件が起こる。そしてオチ。オチの部分だけAメロを展開して、サウンドに変化をつける。くり返されるサビが、最後のリピートでダブルミーニングになる仕掛け。《ザ・リバー》で成功した方法だ。
 登場人物たちは、それぞれに歳を重ねている。過去をふり返ったりもする。それに自ら気づき始めているが、うまく受け止めきれないでいる。枯れているんだか熱いんだか分からない。
 ブルースは本当にこんな歌を歌いたかったんだろうか。少なくとも〈ダンシング・イン・ザ・ダーク〉ではなさそうだ。それにしても、またもや「ダーク」だ。内容は暗い。ステージに女の子を上げて、脳天気に踊るような歌じゃない。
 アルバムを聴きながら、僕はいつの間にか〈Born to run〉を待っていた。〈ハングリー・ハート〉を探していた。「今さら何を言う」とブルースは笑うだろう。アーティストにはアーティスト年齢がある。同じタイプの歌をもう一度作ることはナンセンスだ。次のステップへ行くことをあえて選ぶことで、アーティストは苦悶する。
 ただ、同じような気持ちで歌を作ろうとすることは何度もある。完成する形が違うだけだ。積み重ねてきた人生を賭けて歌を作れば、おのずとできあがりの形は変わる。だがその奥に潜んでいる熱気や毒は同じだ。それすらもこのアルバムからは感じられなかった。
 雑誌で見たブルースは、いつの間にか太股のようなマッチョな腕をしていた。額に巻いたバンダナ、着古したシャツ(光り物のジャケットで、週末の夜をかっこよく決めようとしていた男が)、それが労働者階級を装うステージ衣装に見えた。厚い筋肉までが、本音を隠すための鎧に見えた。“アメリカのブルース”を“世界のブルース”にするために、スタッフが集まって開かれているプロモーション作戦会議の図が想像できた。そのテーブルの隅で、苦虫を噛み潰しているブルースの姿も。

 ブルースは僕から急速に遠ざかっていった。
 僕は東京を舞台にした物語を書き続け、アルバムを作り、自分のスタイルをつかんでいた。もうブルースの助言はいらないな。そう思うようになった頃、《トンネル・オブ・ラヴ》がリリースされた。
 ブルースはストリートという立脚点を、ポーチやリビングへ移したように思えた。ブルースの愛の歌を聴きながら、僕は彼を見送っているような気分でいた。
 穏やかな目で、ブルースは僕をこう諭していた。
「いつまでもギラギラしてばかりはいられないんだ。歳と共に、望むものは変化していく」
 何だか自分も急に歳を取ったような気がした。お別れだな。CDが止まった時、僕はそう感じた。

 ブルースがまたアコースティックなアルバムを出すというニュースが届いた時も、さほどの驚きはなかった。しかしそのタイトルが《the ghost of tom joad》と分かった時、不思議な偶然を感じた。
 トム・ジョードは、スタインベックの小説『怒りの葡萄』の主人公の名前だ。
 僕はその頃ちょうど、ヘミングウェイの短編に深く入りこんでいた。ヘミングウェイの短編のエッセンスを持った歌を作りたいと考えていた。ほんの短い物語の中で、音楽でいえば3分程度の中で、言葉をギリギリまでそぎ落とし、物語のほんの瞬間を捕らえるだけで、すべてを表現する。例えれば、砂時計の砂がガラスのいちばんくびれたところを通り過ぎる瞬間だけを歌う。そして最後の1行で遠くへ突き放すニヒリズムの世界。
 もうよほどのものでなければ音楽では感動できなくなっていた。感心はしても、つき動かされることはなかった。僕の関心は小説へ、とりわけアメリカの初期の文学へ向かっていた。そこへ“tom joad”だ。

 僕はCDのリモコンを持ったまま絶句していた。そこにはまさに僕がやりたいと願っていた世界があった。
 ブルースは深く静かに物語を紡ぐ。希望が歌われないどころか、彼らが何を思っているのかさえも歌われない。恐ろしく淡々と物語は進む。背筋が凍るような静けさだ。人は殺し合い、騙し合い、密かに愛し合い、消えていく。
 ブックレットに載っているブルースの姿は、まるで農夫だ。自分を必要以上にかっこよく見せようとか、取り繕おうとか、そんな様子はいっさいない。向上もない。回顧もない。諦観もない。だがここには僕にとって重要な何かがある。“street”でも“darkness”でも“promise”でも“run”でもない何か。
 アルバムを聴きながら何度も鳥肌が立った。聴き終わり、僕は21年ぶりにこぶしを握って叫んでいた。
「そんなおまえを待ってたんだ!」

 初めて僕が《明日なき暴走》を聴いてから、ブルースも僕も21の歳を取った。人生も後半だ。それが何だってんいうんだ。自分の中に物語を見つけることができる限り、歌は生まれる。後はそれを仕上げてステージに上るだけだ。それが自分で選んだ仕事なんだから。
 僕は今、アコースティックギターを抱えてステージに立つ。バンドを従えてロックンロール・ショーをくり広げることもできるし、同じ曲をギター1本で歌うこともできる。大切なのはスタイルじゃない。歌がオーディエンスの心の中で輝くかどうかだ。それにアコースティックギター1本でも、そのストロークでロックンロールを奏でることができる。それを僕に教えてくれたのが、ブルースだ。
 ロックンロールとは、生き続ける魂の力のことなんだ。




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2025年11月23日日曜日

サンキュー、harness!

  ここのところTAKUJI, HISASHI & TOBENで一緒に活動しているトーベンさんと、3年ぶりになる阿佐ヶ谷 harnessでのジョイントライヴ。来てくれたみんな、ありがとう。
 ひょうひょうとして温かいトーベンさんのソロに聴き入った。
 アンコールの4曲は、TAKUJI, HISASHI & TOBEN マイナス HISASHIの「たくべん」でプレイ。

 harnessでのライヴは、年内、年明けと続く。詳細と予約は以下をクリック。

12/6〈小山卓治 × 鎌田ひろゆき〉(ちょっとクリスマスを意識して)
1/31〈小山卓治×白浜久〉

年内のライヴ。

12/20〈小山卓治 × 松藤英男 with 西本明 SPECIAL LIVE〉
 『小山卓治・夢プロジェクト』アルバム制作記念
鳥取 米子 Hi!High?Pecadoss(ハイハイ ピカドス)

 12/30 〈小山卓治 with SMILEY〉東京 江古田 マーキー
 マーキー初出演 25周年記念ライヴ


■セットリスト
01.DOWN
02.ジオラマ
03.花を育てたことあるかい
04.もしもあの時
05.ある夜の電話
06.P.M.11:11
07.Rock’n Roll's Over
08.太陽に手が届きそうだ
09.祈り

E1.さらば恋人 [with 湯川トーベン]
E2.Butterfly [with 湯川トーベン]
E3.たんぽぽ [with 湯川トーベン]
E4.風景 [with 湯川トーベン]

E5.傷だらけの天使 [with 湯川トーベン]




俺とトーベンさんをつないでくれた (故) 中野督夫さんと Photo : Konchan

2025年11月15日土曜日

三浦久さんの庭

 10/4に開催されたOREADライヴの翌日、三浦久さんのご自宅へ行き、穏やかな時間を過ごした。
 写真はご自宅の庭。三浦さんのリクエストで、ベチコがバイオリンを弾き、それから2人で〈ひまわり〉をやった。

 ベチコが庭でバイオリンを弾いている貴重な動画、そして今年のOREADライヴの写真、1時間のライヴ動画(河村博司君と三浦さんとのセッションを含む)が、《OREAD写真集》の購入特典として観覧することができる。
 写真集にパスワードが封入されているから、買ってくれた人は楽しんでね。

詳細と購入は以下をクリック
『小山卓治 10年目のOREAD・ライヴ記念写真集《OREAD》』






photo : Masashi Koyama, Takuya



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2025年11月10日月曜日

サンキュー、北海道!

  1泊2日の強行ライヴだったが、長旅をした気持ちになるほど濃い2日間になった。
 1曲もかぶらないセットリストで臨んだ。いつも来てくれるお客さん、何10年ぶりのお客さん、初めてのお客さんに向け、喉を振り絞った。最後は熱い手拍子と笑顔に包まれた。
 来年も必ず行くよ。また会おう!


セットリスト

■STORMY MONDAY
01.Hustler
02.HEAT OF THE NIGHT
03.Shape Of Life
04.DOWN
05.いつか河を越えて
06.Rock’n Roll's Over
07.Butterfly(カバー)
08.天使の歌う朝
09.Midnight Primadonna
10.PrimaとNoir
11.ばあちゃんごめんね
12.冒険が始まる
13.ダリア
14.傷だらけの天使
15.カーニバル
16.Aspirin

E1.もうすぐ
E2.1 WEST 72 STREET NYNY 10023

E3.下から2番目の男


■純喫茶 はま灯台
01.少年と風
02.PARADISE ALLEY
03.雨の音を聴きながら
04.Blind Love
05.花・太陽・雨(カバー)
06.こわれた自転車

深見順也ソロ

07.西からの便り
08.汚れたバスケットシューズ
09.君が本当に欲しいもの
10.ひまわり
11.Bad Dream
12.最終電車

E1.Show Time
E2.種の歌 [with 深見順也]

E3.Soulmate


カエデと雪 Photo : Takuji


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2025年11月6日木曜日

北海道ライヴ 真駒内の思い出

  今年の北海道ライヴは、どちらも初めての場所になる。
 札幌市内のSTORMY MONDAYは、しゃれてて渋い空間のようだ。

 2日目のはま灯台は、真駒内にある。
 真駒内というと、忘れられない記憶がある。
 デビューした1983年の8月3日、RCサクセションとサザンオールスターズのジョイント(雰囲気的にはガチンコ勝負)のオープニングアクトとして出演したのが、真駒内スタジアムだ。
 上京して1年と少し、デビューして半年もたっていなかった時、2万人の前で歌う。今だから言えるが、足がすくんだ。2万人というと、視界のすべてがお客さんだった。2ヶ月前にリリースしたばかりのアルバムの歌を、喉をふりしぼって歌ったが、2万人のノーリアクション。何もできなかった、というのが正直な気持ちだった。
 当時、RCサクセションは大ブレイク中。サザンも次々とヒットを飛ばしていた。
 先にステージに上がったのはサザン。ヒット曲を並べ、最後は〈いとしのエリー〉。だが、個人的な印象だが、2万人は動かなかった。
 サザンがステージを降りた時から、客席からざわざわと熱気があふれてきた。RCがステージに登場した途端、パニックのような歓声が上がった。RCは、2万人を完全に掌握していった。
 俺はそれをステージそでで見ながら、実力の差を思い知っていた。

 あれから42年。清志郎さんは亡くなってしまったが、俺はまだ歌い続けている。


詳細と予約は以下をクリック
■11月8日(土)
北海道 札幌 Blues & Rock Bar STORMY MONDAY(ストーミーマンデー)
■11月9日(日)
北海道 札幌 真駒内 純喫茶 はま灯台
ゲスト:深見順也



北海道へ向かう機内から Photo : Takuji


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2025年11月4日火曜日

サンキュー、名古屋!

  PIANO BAR Club Adrianaは、美しく音が響く空間だった。
 ベストアルバムの濃い曲が中心のセットリストを、生声で2日続けて歌うのは大変だったが、来てくれたみんなの胸に歌が届くのが見えたような気持ちになれた。
 初日には、ずっと歌は聴いてくれていたがライヴは初めての人。2日目には「シブヤスクランブルストーリーズ」のTシャツを着た初ライヴの人。続けてきて幸せだと感じる時だ。

 そして、次の名古屋でのライヴが決まっている。

2/28(土) 〈夢プロジェクト〉新アルバム レコ発ライヴ〈featuring 西本明, 長田進〉
名古屋 栄 Brushup

 豪華なメンバーでのライヴだ。詳細は近日中に告知する。


■11/1 セットリスト
01.気をつけた方がいいぜ
02.夕陽に泣きたい
03.HEAT OF THE NIGHT 
04.DOWN
05.P.M.11:11 
06.Blind Love
07.煙突のある街
08.NO GOOD!
09.種の歌

インターバル

10.Midnight Primadonna
11.PrimaとNoir
12.Once 
13.夏の終わりに
14.Butterfly(カバー)
15.天国のドアノブ
16.傷だらけの天使
17.Aspirin 
18.世界はすばらしい

E1.2人のはるか
E2.1 WEST 72 STREET NYNY 10023

E3.夢の国へ

■11/2 セットリスト
01.Night Walker 
02.PARADISE ALLEY
03.微熱夜
04.君が本当に欲しいもの
05.裏窓
06.青空とダイヤモンド
07.ユリエ
08.長すぎる夜と遠すぎる朝
09.ダリア

インターバル

10.ハヤブサよ
11.ばあちゃんごめんね
12.前夜
13.花・太陽・雨(カバー)
14.成長
15.こわれた自転車
16.Bad Dream 
17.最終電車

E1.もうすぐ
E2.いつか河を越えて

E3.Soulmate




Photo : Dosyo


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2025年10月30日木曜日

名古屋 2 Daysは、生声、生音で

  この週末に開催する、名古屋 PIANO BAR Club Adrianaでの2 Days。
 この店は、基本はグランドピアノがあるジャズバーで、生の楽器の音が綺麗に響く造りになっている。PAは簡易的なものだと聞き、スタッフと話し合った結果、マイクを使わない、ギターも音響を使わない、完全な生の声と生の音でやることにした。
 東京では年に1度やっているが、名古屋でやるのは初めてになる。

 生のライヴは、独特の雰囲気になる。体と喉を震わせた声、ギターのサウンドホールから鳴る音が、会場の響きと相まって、直接お客さんの耳と体に響いてくる。
 今回の名古屋は、そんな特別なライヴになる。いつもと同じようで、まったく違うライヴ。ぜひ堪能してね。

■11月1日(土)■11月2日(日)
名古屋 PIANO BAR「Club Adriana」(クラブ アドリアーナ)

 そして今回も、愛知北FM放送【伊藤由美子のCozy Space】に出演するため、明日名古屋へ向かう。3曲歌うことになっているから、近日中の公開を楽しみにしていてね。


2025.2.2 名古屋 Rosemary Hart Photo : Staff


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2025年10月29日水曜日

名古屋、北海道へ 準備万端

  弦を40セット購入。ライヴだけじゃなくレコーディングもあったから、減るのが早かった。
 そしてブリッジピンも購入。9/15のWonder 5とのバンドライヴの時に5弦が切れ、ピンが飛んで行方不明になって弦が替えられなくなり(ライヴ後に見つかった)、ストウ君の予備のギターを借りて助かった。そんな時のためにギターケースに入れておくことにした。
 ブリッジピンの素材はローズウッドにした。プラスチック、エボニー、牛骨、ブラスなど、いろんな素材があって、変えるだけで音が違ってくる。

 今週末の名古屋、そして来週の北海道の準備に集中しよう。
 詳細は以下をクリック。

■11月1日(土)■11月2日(日)
名古屋 PIANO BAR「Club Adriana」(クラブ アドリアーナ)

■11月8日(土)
北海道 札幌 Blues & Rock Bar STORMY MONDAY(ストーミーマンデー)

■11月9日(日)
北海道 札幌 真駒内 純喫茶 はま灯台
ゲスト:深見順也




Photo : Takuji


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2025年10月28日火曜日

『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』

  1998年、ロンドン、ナショナルギャラリー。膨大な数の作品が展示されている美術館。
 ある部屋に入ると、一点からギラギラとオーラを感じた。ゴッホの『ひまわり』だった。絵の前で立ちすくんでしまった。
 ナショナルギャラリーは入場無料。3ヶ月の滞在の間、何度も何度も足を運び、絵の前に立った。

 東京都美術館で、『ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢』を見た。ゴッホの展覧会は日本ではよく開催される。今回は家族をモチーフにしたものだった。
 生地オランダでの作品は、重苦しく暗いものが多かったが、パリに移り住んだ頃から、浮世絵などの影響もあってか鮮やかな色彩に満ちていく。今回の展示にはなかったが、精神を患っていく晩年の作品には狂気すらにじむ。
 
 生前、1枚しか作品が売れなかったゴッホを、弟のテオが支え続けた。家族の繋がりだけじゃなく、画商だったテオがゴッホの才能を発見したからこそだろう。
 ゴッホが37歳で死去した半年後、テオは病死。その後、テオの妻のヨーと息子のフィンセント・ウィレムはゴッホの作品を守り続け、ゴッホ財団を設立する。

 ちなみに、原田マハの小説『たゆたえども沈まず』『リボルバー』(小説)『ゴッホのあしあと』(エッセイ)は、どの作品もゴッホの等身大が浮かび上がってきて超おもしろかった。

 亡くなった後に認められたという点で、ふと宮沢賢治を連想した。賢治も37歳で没している。


Photo : Takuji


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2025年10月27日月曜日

〈シブヤ スクランブル ストーリーズ〉

 〈シブヤ スクランブル ストーリーズ〉の総監督イシイジロウさんが、グッズを送ってくれた。Tシャツ、トートバッグ、バッヂなどなど。
 公式サイトと「X」がオープンした。これからの色々な活動報告は、ここで見てね。

以下をクリック
〈シブヤ スクランブル ストーリーズ〉公式サイト
X〈シブヤ スクランブル ストーリーズ〉


Photo : Takuji


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2025年10月26日日曜日

サンキュー、harness!

  半年に1度続けている〈熊本応援ライヴ〉。今回はお客さんから「好きなフレーズ」がある歌をリクエストしてもらった。結果、なかなかに濃いセットリストになった。

 売り上げの¥77,000を「熊本城 災害復旧支援金」に送る。いつもありがとう!
 〈熊本応援ライヴ〉は、地震から10年の来春、4/11 阿佐ヶ谷harnessでひとまず終了する。参加してくれたみんなには、心から感謝している。

■セットリスト
01.HOLY LAND -聖地-
02.Night Walker
03.成長
04.少年と風
05.負けないで
06.このどん詰まりから俺を救ってくれ(小説『明日なき暴走』より)
07.大人になった(ファンクラブ〈ONE〉巻頭詩より)
08.ひまわり
09.夏の終わりに
10.Butterfly(ダニエル・ジャラール  カバー)
11.花・太陽・雨(PYG  カバー)
12.祈りの歌(三浦久  カバー)
13.The Fool On The Build'
14.こわれた自転車
15.今までの僕は

E1.Blind Love
E2.微熱夜

E3.オリオンのティアラ


photo : Yukari Watanabe


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2025年10月23日木曜日

名古屋、北海道へ!

 大阪、東京と開催してきた〈小山卓治|Well 2 + 10〉。ベストアルバム《Well 2 -Songs of 40 years-》29曲 + 10曲を2日で歌いきるライヴの、名古屋編が近づいてきた。
 初めてやるピアノバー Club Adrianaは、グランドピアノもあって、しゃれた雰囲気のようだ。
 2日とも、そろそろソールドアウトとのこと。楽しんでね。

 そしてその翌週は、2年ぶりになる北海道へ。
 こちらも初めての場所で、札幌 Blues & Rock Bar STORMY MONDAYと、札幌 真駒内 純喫茶 はま灯台。はま灯台にはシンガーの深見順也君が参加してくれる。
 2年ぶりだから、懐かしい歌から新しい歌まで、たっぷり歌うよ。会えるのを楽しみにしている。

■11月1日(土)■11月2日(日)
名古屋 PIANO BAR「Club Adriana」(クラブ アドリアーナ)

■11月8日(土)
北海道 札幌 Blues & Rock Bar STORMY MONDAY(ストーミーマンデー)

■11月9日(日)
北海道 札幌 真駒内 純喫茶 はま灯台






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2025年10月22日水曜日

《OREAD》写真集 購入特典サイト オープン !

  OREADの写真集を製作したコヤママサシ君から「特典サイト」オープンのお知らせが届いた。
 購入時の特典として、メモリアルフォトカード、メモリアルチケット、ステッカーが同封されているが、さらに写真集についているパスワードで、今年のOREADの写真70枚(オープンマイク、ライヴ、打ち上げ)と、10曲の動画がダウンロードできる。
 俺もさきほど受け取って、ニコニコしながら見ているところだ。俺と三浦久さんとベチコ、それにお客さんの笑顔が弾けている。
 ぜひ入手してね。俺のライヴ会場でも販売していく。

 ウェブ購入と、特典の入手は、以下をクリック
〈小山卓治 10年目のOREAD 写真集〉






photo : Masashi Koyama, Takuya


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2025年10月20日月曜日

『たとえば君 河野裕子・永田和弘』

  2人の歌人の相聞歌集を読んだ。サブタイトルは「四十年の恋歌」。
 21歳の河野裕子と20歳の永田和弘は、和歌を通じて知り合い、恋をし、結婚し、2人の子供に恵まれ、それぞれが何冊も歌集を出版し、2010年、64歳で河野裕子が乳がんで亡くなるまで、多くの相聞歌を作り続けた。

 若い頃の河野裕子の随筆にこんな文章がある。
 誰かの為に、何かの為に、という大義名分では決して短歌は作れるものではない。短歌はもっとつきつめた、ひとりぼっちなものであると思う。

 それでも2人は何百首もの恋の歌を、河野裕子が亡くなるまで(亡くなった後の永田和弘の挽歌も)作り続けた。
 この本は、それをひとつにまとめた短歌集だ。
 これほどまでに熱く、穏やかで、痛い相聞歌を、これまで読んだことがなかった。いくつか紹介したい、

・出会ったばかりの若い頃

たとえば君 ガサっと落葉すくふやうに私をさらつて行つてはくれぬか
河野裕子
あなた・海・くちづけ・海ね うつくしきことばに逢えり夜の踊り場
永田和弘

・結婚して子育ての頃

鈍感なわたしだつたよひたひたとあなたのこゑを書きつけておく
河野裕子
あそこにも、ああ、あそこにもとゆびさして山の桜の残れるを言う
永田和弘

・河野裕子の死を前にして

あなたらの気持ちがこんなにわかるのに言い残すことの何ぞ少なき
河野裕子
ヤドリギは夕暮れ影を深くする幸せすぎたと泣く人がゐる
永田和弘

・河野裕子の死後

たったひとり君だけが抜けし秋の日のコスモスに射すこの世の光
永田和弘




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2025年10月18日土曜日

OREAD写真集

  2013年から、ほぼ毎年のようにライヴを続けてきた、長野県辰野にあるライヴハウスOREAD。
 シンガーで、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンの歌詞の翻訳家でもある三浦久さんが作ったライヴハウスだ。
 俺はここを「音楽の聖地」と名づけた。

 今年、10回目のライヴになるのを記念して、これまでのすべてのライヴを写真に収めてきた、俺のアルバムジャケットの写真とデザインを25年間手がけているコヤママサシ君が作った、写真集が完成した。
 俺や三浦さんの写真だけじゃなく、オープンマイクに参加してくれた人たちや、客席の笑顔の写真も多く掲載されている。
 まだOREADに行ったことがない人にも、そこで生まれたマジックを感じ取ってもらえるはず。
 俺と三浦さんの書き下ろしのエッセイも掲載されている。ぜひ手に取ってほしい作品だ。

 詳細と購入は以下をクリック。ライヴ会場でも販売するよ。

《OREAD》
Takuji Oyama Live 10th year@OREAD






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2025年10月16日木曜日

熊本応援ライヴ リクエスト募集

  熊本地震が起きた2016年から始めた〈熊本応援ライヴ〉。来春の10年を区切りに、ひとまず終了するつもりだ。来週末を含めてあと2回ということになる。
 これまで、カバーソング、ファンのみんなとのセッション、男性限定 女性限定のリクエストなど、みんなが楽しんでくれる企画でやってきた。

 今回の企画は、こんなのを考えた。
 心に残った歌詞のフレーズをセレクトし、その歌詞を書いてリクエスト曲を送ってほしい。できれば、その歌詞に対してちょっとしたコメントをつけてくれると嬉しい。かぶるかもしれないので、1人2曲にする。

 リクエスト、待ってるよ。今回も楽しい夜にしよう。

詳細と予約は以下をクリック。
〈熊本応援ライヴ〉
■2025年10月25日(土) 東京 阿佐ヶ谷 harness




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2025年10月14日火曜日

サンキュー、大阪、福岡!

  TAKUJI, HISASHI & TOBENで初めての、大阪と福岡でのライヴ、大盛況だった。

 やりながらふと、この3人が同じステージに立つ意味がちゃんと伝わっているのかなと思った。
 改めて説明しておこう。「白浜久 Project」として6人編成でバンドライヴをやり、その後4人編成でのライヴをやった。
 白浜さんの「クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングみたいな、バリバリにコーラスをやるユニットをやりたいね」という話から、「じゃあトーベンさんはどう?」という提案になり、3人で組むことになった。3枚のアルバムを作り、ライヴを重ねてきて、日本でもまれなコーラスユニットになった。

 大阪と福岡では、トーベンさんが何曲かベースを弾き、大阪のアンコールでは髙木太郎氏がドラムで参加してくれた。
 このユニットはこれからも続けて行く。来年の2月に、また東京でやることが決まった。


 おまけエピソード。
 羽田空港で待ちあわせして大阪行きの飛行機にチェックインする時、トーベンさんの荷物にアーミーナイフが入っていると疑われ、入念に検査された結果、爪切りだった。
 トーベンさんの歌に〈職質ブギ〉ってあったな。


Photo : Staff


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2025年10月9日木曜日

名古屋 2 Days

 大阪と東京で開催した、ベストアルバム《Well 2 -Songs of 40 years-》収録の29曲+10曲を2日で歌いきるライヴの、名古屋での開催が近づいてきた。
 大阪とも東京とも違うセットリストを組むつもりだ。場所は、新栄駅近くのピアノバー、クラブ アドリアーナ。グランドピアノのあるおしゃれな空間。俺の歌がどんな風に響くか楽しみだ。

詳細と予約は、以下をクリック
〈小山卓治|Well 2 + 10〉
11/1, 2 名古屋 PIANO BAR Club Adriana





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2025年10月7日火曜日

大阪、福岡へ!

  昨日は、今週末のライヴに向けて、TAKUJI, HISASHI & TOBEN(小山卓治, 白浜久, 湯川トーベンのユニット)のリハーサル。3人で初めての、大阪と福岡でのライヴだ。
 回を重ねるごとに、アンサンブルがよくなっていくのが分かる。
 サードアルバムのレコ発でもある。福岡はライヴ生配信もあるよ。
 楽しみな週末だ。会いに行くよ!

 写真はスタジオの鏡でのスリーショット。

ファーストアルバムダイジェスト(YouTube)
サードアルバムダイジェスト(YouTube)

詳細と予約は、以下をクリック
■10月11日(土) 大阪 Live bar ROOTS ’66
■10月12日(日) 福岡 CAVERN BEAT


Photo : Takuji




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2025年10月6日月曜日

サンキュー、OREAD!

  OREADでのライヴがすばらしすぎて、昨日は脱力していて書けなかった。
 2年ぶりのOREAD、三浦久さんとの再会、初めてのゲストに磯部舞子と河村博司(と息子ちゃん)。
 今回のライヴ開催にも、地元の有志やファンの人たちが尽力してくれた。本当にありがとう。

 コヤママサシ君の写真集も発売された。くわしくは以下をクリック。
 「Takuji Oyama Live 10th year@OREAD」
 俺のライヴ会場でも、今後販売していく。

 コヤマ君からの伝言。
「たくさんの方に知ってほしいので、SNSに写真を掲載してくれると嬉しいです」
 下に写真を掲載した。スキャンじゃなく、こんな感じでね。

 ライヴの写真は、若松政美君と佐藤和恵さんのSNSから拝借した。ありがとう。


■セットリスト(with 磯部舞子)

01.夢の島
02.PARADISE ALLEY
03.Midnight Primadonna
04.PrimaとNoir
05.ばあちゃんごめんね
06.冒険が始まる
07.クリスタルレインドロップ
08.ひまわり

三浦久ソロ

09.少年と風(ソロ)
10.雨の音を聴きながら(ソロ)
11.ダリア
12.世界はすばらしい
13.Aspirin
14.最終電車

E1.種の歌 [wth 河村博司, Audience]
E2.傷だらけの天使 [wth 河村博司, Audience]
E3.祈りの歌 [with 三浦久]








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2025年10月3日金曜日

《小山卓治・夢プロジェクト》最終レコーディング

 昨日、スタジオで最後になるレコーディングをやった。

 8/9の〈西本明ナイト 1st Day  尾崎豊トリビュート〉の時、俺の歌に参加してくれた柿島伸次君が、ナイスなハープとコーラスを披露してくれた。

 そして満を持して登場したのが、佐橋佳幸君。西本明さんと共に、佐野元春さんのザ・ホーボーキング・バンドに参加したギタリスト。
 だが、それだけじゃない。俺のデビューシングル盤の〈FILM GIRL〉でギターを弾いたのが佐橋君だ。当時はクレジットがなかったから、そのことを知っている人は少ないだろう。
 西本さんから「小山卓治って知ってる?」と聞かれ、「もちろん!」と答えてくれたそうだ。

 再会の握手の後、当時の話に花が咲いた。お互いに当時のことはよく憶えていた。よく使っていた渋谷の並木橋にあったスタジオ「J」(RCサクセションが《BLUE》というアルバムをレコーディングしたスタジオ。アルバムジャケットもそこで撮影されている)、俺とThe Conxは、いつもそこでリハーサルしていた。〈FILM GIRL〉をレコーディングした日𠮷にあるヤマハのスタジオ、当時のスタッフたちの名前。
 佐橋君は同じプロダクションに所属していて、UGUISSというバンドで俺と同じ1983年にEPIC・ソニーからデビューした。ソロになってからの活躍はめざましい。それだけ多忙だったのに当時のことを憶えているのは、お互いに若くてギラギラしていた時代だったからこそだろう。

 そのプレイはすばらしかった。弾き終えてブースから出てきた佐橋君に、そこにいた全員から自然に拍手が起きた。
 ここだけネタばれになるけど、言っちゃおう。彼に参加してもらった曲は〈FILM GIRL〉。42年ぶりに同じ歌でギターを弾いてもらう。こんな幸せなことがあるだろうか。

 そしてレコーディングの最後の歌は、西本さんのピアノと俺の歌だけ。
 ブースに入り、ヘッドホンをし、西本さんのピアノのイントロに聴き入る。そして歌う。ものすごい緊張感だった。1テイク歌うごとに100メートルをダッシュするくらいのエネルギーを使った。

 スタジオでの作業は終わった。あとは細かい作業、ミキシング、マスタリングと続いていく。
 まだちょっと早いが、《小山卓治・夢プロジェクト》を立ち上げてくれた人たちと、ミュージシャンに声をかけ、スケジューリングをし、プロデュース、アレンジ、プレイと大活躍してくれている西本さんに、深い感謝を。
 《小山卓治・夢プロジェクト》の作品が完成するまでの道のりはまだまだ。でも、確実に新しい一歩を踏み出せた。


Photo : Takuji


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2025年9月30日火曜日

今週末、OREADで会いましょう

  2年ぶりのOREAD。すでにたくさんの予約が入っている。
 オープンマイクへの参加希望も今までで最多になり、1人(1組)の持ち時間がけっこうタイトになってきた。なので、オープンマイクへの参加は、ここで締め切らせてもらう。

 当日のオープンマイクは、開場 16:00 / 開演 16:30なので、可能なら16:00に到着してもらって、早めにスタートさせたいと思っている。みんなの協力をお願いしたい。楽しい時間にしよう。

 さて、俺は何を歌おうかな。

〈小山卓治 ワンマンライヴ & オープンマイク〉
■10月4日(土) 長野 辰野 OREAD



2025年9月28日日曜日

天才と孤高

  以前、あるクリエイターからこんな話を聞いた。
「僕はもう、あの人とは今後仕事をしないことにしました。あの人のわがままには付き合いきれなくて。あの人は……まあ、天才なんでしょうね」
 天才と言われて最後に一人ぼっちになるくらいなら、自分が天才じゃないことを喜ばなきゃ。


 《小山卓治・夢プロジェクト》のレコーディングの際、西本さんがメンバーによく言っていた。
「演奏する前に、まず歌詞を読んでくださいね」

 昨日は、西本さんとスタジオでプリプロダクション。2曲をプレイ。これで予定していた11曲がそろうことになる。
 作業が終わり、西本さんが言った。
「小山さんみたいな歌詞を書くシンガーは、日本じゃ他にいませんね」
「よく孤高のシンガーとか言われますよ。でもそれって友だちがいないってことでもありますよね」
「(笑)」

 でも今、思う。
 俺は決して孤高ではない。
 たくさんの理解者たちに囲まれている。
 それに俺は、一緒に仕事をする人を絶対に傷つけたりしない。


 レコーディングは来週。また名うてのミュージシャンが登場する。会うのは何10年ぶりだ。


Photo : Staff


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2025年9月26日金曜日

彼岸花の季節

  どんなに猛暑が続く年でも、お彼岸になると必ず見頃を迎える彼岸花。ほとんどが真っ赤な花だが、たまに白い花を見かける。どういう進化の過程を経て、こんな形の花弁に進化したんだろうな。

 さて、マーチンの弦を張り替えて、西本さんとのプリプロの準備。明日、2人でスタジオに入る。あと2曲だ。


Photo : Takuji


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2025年9月22日月曜日

OREADライヴ with ベチコ

 長野県辰野 OREADでのライヴ。コロナ禍での中止などもあったが、今年で10回目を迎えることになった。
 いつも思っている、ここは“音楽の聖地”だ。歌っていると、何かが舞い降りてくるのを感じる。

 OREADで歌い始めた頃から思っていた。
「ああ、この空間には、ベチコのバイオリンの音色が似合うだろうな」
 今年、ついに念願がかなうことになった。三浦久さんも、きっとベチコのバイオリンを好きになってくれるはずだ。
 今、ベチコのベストパフォーマンスを引き出すセットリストを考えている。今までで最高のライヴをやる。

 ライヴの前には〈オープンマイク〉が開催される。全国でもここだけの企画だ。みんな楽しそうにステージに立ち、フェバリットソングやオリジナル、俺の歌のカバーを披露してくれる。もちろん俺も参加する。ベチコにも声をかけている。

 コロナ禍の後は自粛していたが、今年のアンコールは以前のようにみんなと一緒にやろうと思う。
 曲は〈種の歌〉と〈傷だらけの天使〉。楽しもう!

予約は以下をクリック。
〈小山卓治 ワンマンライヴ & オープンマイク〉
■10月4日(土) 長野 辰野 OREAD


 今年はさらに、コヤママサシ君の『OREAD写真集』の発売もある。
 詳細はこちら
 すばらしい1日になるだろう。






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2025年9月19日金曜日

TAKUJI, HISASHI & TOBEN ライヴ写真

  9/6、Club GOODMANでのライヴ写真が、白浜久さんのサイトにたっぷり掲載されている。のぞいてみてね。

〈TAKUJI, HISASHI & TOBEN 2025 at Tokyo〉


 TAKUJI, HISASHI & TOBENのライヴは、いよいよ大阪と福岡へ。詳細と予約は以下をクリック。

■10月11日(土) 大阪 Live bar ROOTS ’66
■10月12日(日) 福岡 CAVERN BEAT




photo:Keiko Handa



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2025年9月17日水曜日

『Takuji Oyama Live 10th year @ OREAD』販売サイト オープン

  デザイナーでカメラマンのコヤママサシ君が、魂を込めて作り上げた写真集のサイトが完成した。

『Takuji Oyama Live 10th year@OREAD』

 9/20から予約開始、10/4のOREADのライヴ会場で販売をスタートさせる。


ライヴの詳細と予約は以下をクリック。ベチコも初参加するよ。
〈小山卓治 ワンマンライヴ & オープンマイク〉
■10月4日(土) 長野 辰野 OREAD






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2025年9月16日火曜日

サンキュー、新横浜 LiT!

 LiTが満員になった。これまでのWonder 5のライヴで最高だったんじゃないかな。
 俺のギターの5弦が切れて弦をとめるピンが行方不明になり、ストウ君のサブのギターを借りたりもしたけどね。
 〈Aspirin〉でのドクターベチコを、ドッキリでドクター天神にしたてたり、〈Hustler〉で、俺とベチコとストウ君で(サイン入りの)トランプを投げたり、お楽しみもたっぷり。
 みんな楽しんでくれて、本当にありがとう!






photo : Yukari Watanabe


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2025年9月14日日曜日

明日、バンドライヴ!

  明日は、ほぼ半年に1度のWonder 5とのライヴ。もう超ワクワクだ!
 そしてその翌日、俺は68歳を迎える。

詳細と予約は以下をクリック
〈Takuji Oyama 68th Birthday Special Live 〉
■9月15日(月祝) 神奈川 新横浜 LiT


photo : Yukari Watanabe


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2025年9月13日土曜日

最高のレコーディング

  《小山卓治・夢プロジェクト》第3次のレコーディング。すばらしいサウンドが生まれた!
 なんか、すごいことになってきたぞ。


Photo : Staff


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2025年9月11日木曜日

第3次レコーディングメンバー

 渋谷のスタジオに集結したのは、今回も名うてのミュージシャンばかり。
 浜田省吾さんが大ヒットアルバム《J.BOY》をレコーディングした時のバンド、THE FUSEのメンバー。

 ドラム:高橋伸之
 ベース:江澤宏明
 キーボード:板倉雅一

 その頃、西本明さんは、佐野元春さんのバンド、HEARTLANDでプレイしていた。

 さらにもう1人。
 ギター:河口修二

 Mr.Childrenのサポートギターをやっていた。2010年前後には何度も同じステージに立った。

 メンバーのアンサンブルがよすぎて、アッという間にアレンジが固まっていった。さすがとしか言いようがない。

 今回は、俺の歌の中でもわりとポップ色がある歌を3曲セレクトした。
 スタジオで西本さんが言った、歌についての感想。
「80年代の歌は、やっぱり青春の香りがしますね」
「そうですね。まだ懲りてない時期でしたから」
「(笑)」

 歌に新しい息吹が吹き込まれた。
 今更だけど、ボーカルの改善点も見つかった。伸びしろはいくらでもある。

 そして明日、レコーディングだ!
 《小山卓治・夢プロジェクト》の全貌が見えてきた。




Photo : Staff


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