映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ(Deliver Me from Nowhere)」を見た。
音楽映画というだけじゃなく、家族とのトラウマからの回帰がテーマといってもいい。映画の中のブルースはステージで華やかにシャウトするのではなく、どこまでも深く自己の内面に入り込んでいく。
最近よく作られるロックをテーマにした映画(ボブ・ディラン、クイーン、エルヴィス・プレスリー、ロビー・ウィリアムズなど。さかのぼればさらに多く)の中で、一番“陰鬱”で、一番胸に突き刺さった作品だった。胸が震えた。
余談だが、ブルースが録音に使用するカセットの4シャンネルのレコーダー、TEAC 144 Portastudioを、俺も当時使っていた。
1996年9月、オフィシャルファンコミュニティー〈OFF〉に、ブルースについて書いたエッセイがある。長いけれど、ここに記しておく。
改めてブルース・スプリングスティーンのことを考えてみた
1975年、19歳の僕は買ってきたばかりの《明日なき暴走》のアナログ盤に針を落とすところ。ブルースという男のサード・アルバムらしい。ハーモニカが流れだし、僕は「何だフォークじゃねえか」と煙草に火を。かたわらにはディランの《欲望》とトム・ウェイツの《クロージング・タイム》があったはずだ。
唐突に、たくさんのイメージが頭の中で跳ね回り、演奏はグイグイと僕を引っぱり回して制限速度を越えさせる。あっという間に僕は真夏の夜のストリートに放りこまれた。そこではたくさんの男たちや女たちが、宝石のような夜を送っている。裏通りからメインストリートをのぞき見た僕は、カーニバルの熱狂の渦に巻きこまれる。そのカーニバルの先頭に立って、怒涛のようにほとばしる言葉と音を指揮しているのは、テレキャスターを振りかざして吠える路地裏の王様。
シンプルなギターのリフ、ぶっといサックス、荒くれたドラム、コードを8分ではつらつと叩くピアノに、何か不思議な懐かしさを感じた。多分子供の頃に知らない間に耳に流れこんでいた遠いアメリカの夢のサウンド、あのゾクゾクする感じとでも言えばいいのか、それがレコードから汗のように染みだしている。その上で、割れんばかりのシャウトとかすれたつぶやきで物語を紡ぐ男は、今までに会ったこともないようなやつだ。レコードを聴きながら、僕は何度もこぶしを握っていた。すげえ、70年代のミーイズムの霧の向こうから、髭ヅラの救世主が飛びだしてきた!
当時の僕は、プロになるという明確なビジョンも、未来も展望もないまま、バイトをしながら曲を作り、客のいないステージに立つ日々だった。ナイーブとか優しさなんて言葉が大手を振り、フォークがニューミュージックになっていくご時世に、今にして思えば僕の歌は影を背負いすぎていた。痛みを歌いすぎていた。田舎町に暮らし、すべてがどん詰まりで方向を見失っていた。
「おまえの歌は暗いよ。文字通り音を楽しむのが音楽なんだぜ」
そう言われて反論できないでいた。違う、それだけが音楽じゃない。内心では強く思っていても、その気持ちをうまく具現化してくれるアーティストは当時いなかった。ジョン・レノンは空の上の方で所在なげにしていたし、ボブ・ディランは別のことを考えていた。トム・ウェイツは最初からうつむいていた。みんな少しずつ僕の想いとはニュアンスが違っていた。
僕が聞きたかったのは、今まさに僕が佇んで、うなだれて、殴られた頬を押さえて立っている街角の、光と影の歌だった。このどん底から切実な想いと共に一緒になってはいあがってくれる、ピュアな魂を持った街角のチンピラの歌だった。
ブルース・スプリングスティーン。彼こそ僕が待ち望んでいた男だった。
1枚のアルバムを聴きながら、こんなに遠くまで旅をしたことはなかった。いくつもの街路を抜け、たくさんの人間たちとすれ違い、そして最後にたどり着く〈ジャングルランド〉の圧倒的なサックスソロ。まるで映画のタイトルバックのようにラストシーンを締めくくる。長く熱い夜が終わり、晴れ晴れしい朝が来る。そこに立ちつくす1人の男の後ろ姿。車のエンジンを切った直後の濃い沈黙。
針が上がる。僕は黙りこんでしまった。僕の心を占拠していたのは、全力疾走を終えたランナーのカタルシスと、途方もない徒労感、飢餓感だった。
ふと、映画『アメリカン・グラフィティ』を思いだした。たった一夜のストーリー。50年代のご機嫌なロックンロールに乗せて、ティーンエイジャーの恋があり、喧嘩、友情、別れがある。一瞬のように短くて永遠のように長い美しい夜が明けたラストシーンで、フッと音楽が途切れる。そこに続くのは、登場した男たちのその後の物語。1人は自動車事故で死に、1人は保険外交員になり、1人はベトナムで行方不明になり、1人は作家になりカナダに在住。甘美な一夜の後にあったのは、そんな冷徹な現実。
ぽっかりと胸に空いた穴を埋めたくて、もう一度レコードに針を落とす。何度聴いても同じ虚ろさが襲ってきた。後は自分で走るしかないんだと感じた。この乾きを癒すためには、何事かを達成するためには、届かなかったゴールを自分の足で探すしかない。
僕は新しい曲を作り始めた。そこには必ずといっていいほどブルースの描きだしたイメージが浮かんできた。ブルースのように走り、ブルースのように歌おうとした。しかし何かが違っていた。ブルースが、そしてアメリカが持っているイノセンスと楽天性が僕にはなかった。逆にアメリカが内包している孤独感だけが、ウェットさを増して僕につきまとった。僕は自分の方法を見つけなければいけなかった。
1982年、僕は東京へ出た。デモテープをきっかけにデビューが決まったその年、《ネブラスカ》がリリースされた。《闇に吠える街》《ザ・リバー》と、虚ろな目をした顔でジャケットに収まっていたブルースは、影をずっと深くしていた。《ネブラスカ》のジャケットには顔さえなく、モノクロの荒涼とした風景に、血の赤。
ノイズだらけの歌は、いきなり死を描く。ブルースの歌には、以前から死の影がつきまとっていた。実際に歌の中で人が死に、手痛い目に会い、心に傷を作る。倒れ、はいつくばり、それでもひとかけらの希望を密かに強く信じている。そこに僕は惹かれていた。だが《ネブラスカ》には希望すらなかった。あっさりと人が死に、なぜかと問われないまま歌は終わる。激しい孤独、激しい痛み。「後は自分で考えろ」と突き放される。
希望がないんじゃない。ブルースはあえてそれを歌わなかった。歌わないことで逆にギリギリの希望を感じさせる。心から希望を信じることのできるやつだけが、本当の絶望を歌える。
ブルースはまるで他人事のように、ある男やある女の物語を淡々と語る。等身大の自分を歌うことよりも、もっと難しい作業だ。歌を作る時、その男に自分がなりきらなければ歌はできない。殺人者の歌を作る時、ソングライターは心の中で人を殺している。少なくともその男と自分とに接点がなければ歌は成立しない。その歌を作る意味はない。
僕が作る歌に登場する人間たちも、極端に言えばその誰もが僕だ。人を殺す男も、女を裏切る男も、そして女さえも僕の一部だ。だからその歌を歌うことは今でも痛い。
ブルースも、たくさんの傷ついた人間たちを歌いながら、彼らの生きざまを背負っているはずだ。だからこそ僕はブルースを信じた。さほど売れなくても《ネブラスカ》は僕のフェバリットになった。
翌年、僕ははからずもブルースと同じ系列のレコード会社と契約し、同業者となった。聴く側から聴かせる側に変わったことで、気持ちも変化した。例えばコンサートを見る時は、客席にいながらセンターマイクに立っている気持ちで見、リビングのスピーカーはレコーディングスタジオのスピーカーに変わった。おかげで、よほどのパワーを持ったアーティストの作品でなければ感動できなくなった。それでもまだブルースは別格だった。
レコード会社の人間から、ブルースが新しいアルバムをレコーディングしているという噂を聞き、僕は胸を躍らせて待った。
すでにメガヒットになったというニュースが入った頃、僕は《Born in the U.S.A.》を手にした。
信じられないスネアの音でアルバムは始まった。2曲目、3曲目と聴きながら、ふと僕はいつものように胸が躍らない自分に気づいた。何かが違う。必死に耳を澄ませたが、聞こえてくるのは冷めたサウンドと、《ネブラスカ》よりもメロディラインのない歌と、パターン化した登場人物ばかりだ。
男が働いている。週末に遊びに行く。女と出会う、あるいは事件が起こる。そしてオチ。オチの部分だけAメロを展開して、サウンドに変化をつける。くり返されるサビが、最後のリピートでダブルミーニングになる仕掛け。《ザ・リバー》で成功した方法だ。
登場人物たちは、それぞれに歳を重ねている。過去をふり返ったりもする。それに自ら気づき始めているが、うまく受け止めきれないでいる。枯れているんだか熱いんだか分からない。
ブルースは本当にこんな歌を歌いたかったんだろうか。少なくとも〈ダンシング・イン・ザ・ダーク〉ではなさそうだ。それにしても、またもや「ダーク」だ。内容は暗い。ステージに女の子を上げて、脳天気に踊るような歌じゃない。
アルバムを聴きながら、僕はいつの間にか〈Born to run〉を待っていた。〈ハングリー・ハート〉を探していた。「今さら何を言う」とブルースは笑うだろう。アーティストにはアーティスト年齢がある。同じタイプの歌をもう一度作ることはナンセンスだ。次のステップへ行くことをあえて選ぶことで、アーティストは苦悶する。
ただ、同じような気持ちで歌を作ろうとすることは何度もある。完成する形が違うだけだ。積み重ねてきた人生を賭けて歌を作れば、おのずとできあがりの形は変わる。だがその奥に潜んでいる熱気や毒は同じだ。それすらもこのアルバムからは感じられなかった。
雑誌で見たブルースは、いつの間にか太股のようなマッチョな腕をしていた。額に巻いたバンダナ、着古したシャツ(光り物のジャケットで、週末の夜をかっこよく決めようとしていた男が)、それが労働者階級を装うステージ衣装に見えた。厚い筋肉までが、本音を隠すための鎧に見えた。“アメリカのブルース”を“世界のブルース”にするために、スタッフが集まって開かれているプロモーション作戦会議の図が想像できた。そのテーブルの隅で、苦虫を噛み潰しているブルースの姿も。
ブルースは僕から急速に遠ざかっていった。
僕は東京を舞台にした物語を書き続け、アルバムを作り、自分のスタイルをつかんでいた。もうブルースの助言はいらないな。そう思うようになった頃、《トンネル・オブ・ラヴ》がリリースされた。
ブルースはストリートという立脚点を、ポーチやリビングへ移したように思えた。ブルースの愛の歌を聴きながら、僕は彼を見送っているような気分でいた。
穏やかな目で、ブルースは僕をこう諭していた。
「いつまでもギラギラしてばかりはいられないんだ。歳と共に、望むものは変化していく」
何だか自分も急に歳を取ったような気がした。お別れだな。CDが止まった時、僕はそう感じた。
ブルースがまたアコースティックなアルバムを出すというニュースが届いた時も、さほどの驚きはなかった。しかしそのタイトルが《the ghost of tom joad》と分かった時、不思議な偶然を感じた。
トム・ジョードは、スタインベックの小説『怒りの葡萄』の主人公の名前だ。
僕はその頃ちょうど、ヘミングウェイの短編に深く入りこんでいた。ヘミングウェイの短編のエッセンスを持った歌を作りたいと考えていた。ほんの短い物語の中で、音楽でいえば3分程度の中で、言葉をギリギリまでそぎ落とし、物語のほんの瞬間を捕らえるだけで、すべてを表現する。例えれば、砂時計の砂がガラスのいちばんくびれたところを通り過ぎる瞬間だけを歌う。そして最後の1行で遠くへ突き放すニヒリズムの世界。
もうよほどのものでなければ音楽では感動できなくなっていた。感心はしても、つき動かされることはなかった。僕の関心は小説へ、とりわけアメリカの初期の文学へ向かっていた。そこへ“tom joad”だ。
僕はCDのリモコンを持ったまま絶句していた。そこにはまさに僕がやりたいと願っていた世界があった。
ブルースは深く静かに物語を紡ぐ。希望が歌われないどころか、彼らが何を思っているのかさえも歌われない。恐ろしく淡々と物語は進む。背筋が凍るような静けさだ。人は殺し合い、騙し合い、密かに愛し合い、消えていく。
ブックレットに載っているブルースの姿は、まるで農夫だ。自分を必要以上にかっこよく見せようとか、取り繕おうとか、そんな様子はいっさいない。向上もない。回顧もない。諦観もない。だがここには僕にとって重要な何かがある。“street”でも“darkness”でも“promise”でも“run”でもない何か。
アルバムを聴きながら何度も鳥肌が立った。聴き終わり、僕は21年ぶりにこぶしを握って叫んでいた。
「そんなおまえを待ってたんだ!」
初めて僕が《明日なき暴走》を聴いてから、ブルースも僕も21の歳を取った。人生も後半だ。それが何だってんいうんだ。自分の中に物語を見つけることができる限り、歌は生まれる。後はそれを仕上げてステージに上るだけだ。それが自分で選んだ仕事なんだから。
僕は今、アコースティックギターを抱えてステージに立つ。バンドを従えてロックンロール・ショーをくり広げることもできるし、同じ曲をギター1本で歌うこともできる。大切なのはスタイルじゃない。歌がオーディエンスの心の中で輝くかどうかだ。それにアコースティックギター1本でも、そのストロークでロックンロールを奏でることができる。それを僕に教えてくれたのが、ブルースだ。
ロックンロールとは、生き続ける魂の力のことなんだ。
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