2021年9月23日木曜日

松藤英男+高橋研+小山卓治 動画公開

  アンコールで3人でプレイした4曲、〈きんぽうげ〉〈傷だらけの天使〉〈メリーアン〉〈ビューティフル・エネルギー〉の動画がYouTubeにアップされた。


 70年代から80年代初頭にかけて、福岡から新しいバンドやシンガーが続々デビューを果たした。井上陽水、チューリップ、海援隊、シーナ&ザ・ロケッツ、ARB、ザ・ロッカーズ、THE MODS、ルースターズ、甲斐バンド。
 めんたいロックという言葉が生まれた。
 天神にある照和というライヴハウスの伝説は、熊本にも届いていた。高校生の頃、訪れたことがある。
 俺はリスペクトとジェラシーをもって、そんな福岡のシーンを熊本から見ていた。

 最初に甲斐バンドの歌をラジオで聴いたのは〈裏切りの街角〉だった。とっぽいハードボイルドな歌にしびれた。〈漂泊者(アウトロー)〉はテレビから流れてきた。そのハイテンションでたたみかける歌にゾクゾクした。〈ポップコーンをほおばって〉は歌を聴く前にタイトルにやられた。

 1983年当時、甲斐よしひろさんはNHK-FMで『サウンドストリート』という番組のDJをやっていて、俺のデビュー曲を何度もオンエアしてくれた。そこで“小山卓治”を知ったという話は、今でもよく聞く。

 今の東京都庁が建つ以前の広大なスペースで、甲斐バンドが『THE BIG GIG』というイベントを開催することになり、そのオープニングに俺が出演するという話が持ち上がったが、ちょっとした話の食い違いからなしになった。今でも残念に思う。

 1984年、その後何度もツアーを一緒に回る田中一郎さんが甲斐バンドに加入した。

 1986年、解散を決めた甲斐バンドの最後のライヴ映画『HERE WE COME THE 4 SOUNDS』が完成した頃、同じ監督の井出情児さんで、俺は《On The Move》の撮影をしていた。
 ライヴ映画の完成試写パーティーで、初めて甲斐さんにご挨拶した。

 常に俺の前を行くバンドとして、甲斐バンドは存在し続けている。そのオリジナルメンバーの松藤さんと共演できたことは、俺にとってすばらしいプレゼントになった。


photo : Masaaki Suganuma


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