《MANY RIVERS TO CROSS》全編公開(YouTube)
■歌の記憶、旅の記録
卓治:最初の撮影は2000年の9月、〈LOOKING FOR SOULMATES Tour〉の時のON AIR WESTだったよね。あの時はワンカメで。
内藤:テストでね。写真だったら分かるんだけど、映像でどんな風に小山ちゃんが撮れるか、時間軸の中でどんな風に撮れるか、どの角度の動く小山卓治が素晴らしいかっていうのを模索したくって。
あの時の〈YELLOW WASP〉は感動できた。俺たちって引き出しが多くなって、優しかったり、小ずるく優しかったり、いろんなものがあるじゃん。でも人を感動させる時にボンと熱情みたいなものが生まれる。俺にはあの時〈YELLOW WASP〉だったんだよ。熱情や歌いっぷりみたいなところが、まだまだできるじゃんっていうさ。オヤジになると優しくなっていくけど、ああ、やっぱりならねえなっていうのが確信できた。
卓治:(笑)ひどいこと言われてないか、もしかして。
その時のラフに編集したやつを見せてもらって、すごくいいものができるなって確信はできたんだよね。それで年が明けて〈MANY RIVERS TO CROSS Tour〉初日の、9月のMANDA-LA2もワンカメで撮って。俺、その直前のステージで倒れて怪我しちゃってたんだよね。
内藤:俺、ひどいこと言ってたよね。その時の音を使おうかって。オープニングで、倒れた時の音をガンって入れて、それから始めるのはどうだって。
卓治:(笑)俺が倒れたって聞いた時、「映像は撮ってないの?」って第一声で聞いたらしいな。
内藤:〈Show Time〉の最初の方で使ってるステージの映像は、ツアー初日の吉祥寺なんだけど、あの時の緊張してる姿とか、楽屋からテージに出ていく時とか、ああいうところはフォトグラファーのカットカットの緊張感を大事にするっていうやり方が映像として残る。
卓治:確かにあの時はあがってた。また倒れたらどうしようかと思ってたもんな。
内藤:すっごい緊張感だよね。この先どうなるか分からないっていう。俺は心の中で「倒れろ」って。
卓治:(笑)ひでえ。終わった後、「倒れねえのかよ」って言ってたもんな。
内藤:(笑)がっくりだよな。わざわざ行ったのに。つまんねえじゃねえかよ、カメラがある時に倒れろよ。でなきゃ意味ねえじゃん。
そういうあっちゃいけないこともすべて垣根を外して全部取り入れて。やっぱり作る時には垣根は作っちゃいけないよね。全部やってみて、妥協じゃなく、みんなが思う統一感を作り上げていくみたいな。
卓治:それから関西方面3本のライヴを撮って。
内藤:それもワンカメだよね。ツアーの未来なんて計算できないし。神戸、奈良、京都とソロのツアーを撮っていくんだけど、俺の中には完全にバンドっていうイメージがあった。やっぱり小山卓治はフォークのところから来たわけじゃなくてロックで来たわけだから、必ずバンドがないと嫌だ、俺の理想の形はそこなんだっていうのが明確にあった。
卓治:で、12/2のバンドライヴだね。
内藤:それをいざやってみて、バンドもよかったけど、小山ちゃんのソロってすごいなって思った。バンドがあって、その中でのソロじゃん。アコギ1本の〈真夜中のボードビル〉と〈Aの調書〉。震えるような完成度を持ってると思った。あのソロの2曲は、バンドのテンションをそのまま引き継いでるんだよね。アコギがロックのビートで。小山ちゃんの目も体も、すべてがけだもになり始めた。
〈Aの調書〉撮ってる時は、俺以外のカメラマンはプロだから、いろんな絵を撮っててくれるというのがあったから、俺は俺が感じた小山卓治の目だけ撮るみたいな感じ。引き絵は、エンディングの牢獄の照明だけ撮ってくれればいい、あとはもうアップアップアップみたいな。下手からは、照明との相性なんだけど、目も何も見えないシルエット気味の映像が撮れて、ブルーが綺麗でね。撮ってる時に、何となくできあがりの雰囲気は感じてた。
やっぱり小山卓治を代表する曲だと思うよ。日本全国探しても世界で探しても、ああいう歌を書く人は小山卓治しかいない。そのことをはっきりと記録しておきたかった。
卓治:〈Aの調書〉を編集したやつを見せてもらって、すげえ、何だこりゃって思った。そういえば、ちょうど紅白歌合戦の時間帯に編集してたんだよね。
内藤:関わって以来3年だから、2回お正月を過ごしてんだけど、悲惨だったよ。紅白歌合戦では明るい歌やっててさ、俺は自分の部屋で〈Aの調書〉の編集やってんだもんね。暗かったぞお。
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