《MANY RIVERS TO CROSS》をリリースした2003年、ファンクラブ〈OFF〉で、監督の内藤順司との対談を掲載した。4回に渡って掲載していく。
《MANY RIVERS TO CROSS》全編公開(YouTube)
■いくつもの河を渡ろう
卓治:もう3年前の話になるな。〈LOOKING FOR SOULMATES Tour〉が始まって、まだ《手首》のリリース前だったんだけど、急に内藤から「ビデオを作りたいんだ」って話が来て。俺にしてみれば唐突な話ではあったんだけど、やりたいと思ったきっかけみたいなのは?
内藤:多分、色々重なってんだと思う。その頃の小山ちゃんのライヴに行っても、カメラ持ってかないで、SMILEYと朝まで二次会のメインステージをくり広げて、何でか知らないけど、朝ゴミ箱の中にいて。そういう、飲みに行ける絶好のライヴ?
卓治:(笑)仕事関係なしに見にきて、打ち上げで一番盛り上がってたもんな。
内藤:漠然と考えてたんだ。俺の小山卓治像っていうのがあるでしょ。ずうっと20年間いろんな所を見てきて、それ全部が小山ちゃんなんだけれど、年代ごとにひとつずつきっちりしたかったっていう。それは他のアーティストともそうやって続いてきてるんだと思うけど。
音楽専門誌みたいなのも、時代と共にアイドル誌みたいになってきたじゃない。俺たちがいいとする音楽が取り上げてもらえないみたいなのがあったりする。そこで、写真って何なんだろうって考えるんだ。写真の力、写真を撮る意味っていうのを。小山ちゃんとやる時も、ジャケットくらいのもんじゃん。でもジャケットはひとつの商品であって、活動のトータル的なものじゃない。
もともと俺は映像学校出身の人間だけど、二度と映像はやらないっていうのを決めてて。何でかっていうと俺たちの仲間もそうだけど、音楽を撮ってて、写真から映像に行った人ってたくさんいるんだ。それは時代の流れ的にMTVっつうか、プロモーションビデオっていうのが多くなっていって。俺も何度か誘いがあったけど断り続けてた。絶対やんないって。俺は止まった写真にこだわるんだ、みたいな感じがすごくあって。
写真っていうのはある意味受け身じゃん。例えば小山卓治のライヴがあって写真を撮りに行く。その時の状況とか空気を切り取っていく。写真の場合、小山卓治がピッチャーで俺がキャッチャーみたいな、出されたものを受け取る、受け取って増幅するみたいな感じ? だけど映像の場合は、共に作ってくみたいな感じがあるんだよね。これが苦しいんだけど。2人の接点を探りながら、ツアースタイルから、曲順だったり、音の鳴りみたいなものだったり、照明との打ち合わせだったり、今後のツアースケジュールを模索したりって、ものすごく能動的になるわけ。それをあえてやって、ひとつのものを作り上げていきたいと思ったわけ。
卓治:でもそれをやるとなると、かなり長いスパンの仕事になるわけじゃない? 最初からそういうつもりがあった?
内藤:〈LOOKING FOR SOULMATES Tour〉も結構本数をやったじゃない。で、〈MANY RIVERS TO CROSS Tour〉はまだ決まってなかったけど、そのままの流れでコンスタントにやるべきだっていうのがあったから、それを続けて、きっかけでバンドがあって、そこまで撮り続ければできると思った。
写真だけじゃなくて、技術を持ってんだったら、今まで精神的にこだわってきたけど、もう映像だっていいじゃんっていうね。だからきっかり決めてんのは、もう今後映像はやんない。
卓治:(笑)ほんとかよ。
内藤 今の気分としては、1回こっきり。あくまで俺の小山卓治像だけど、やっぱり20年間やってきたから、撮れるのは俺しかいないって思った。だから小山ちゃんに、こうしようああしようみたいなことも語りかけていけただろうし。
そういうコミュニケーション取りながらやる方法もあるし、まったく本人とは会わずに、勝手に監督さんが独断と偏見でやる場合もあって、その方がよかったりすることだってある。でも小山卓治の場合は、そうやってコミュニケーションを取りながら、とことん20年間の何かを撮っていけると思った。
あと、俺と同じように、ファンも30代だったり40代だったりするわけじゃん。小山とおんなじように歩んでる人っていうか。俺とオーディエンスとは違うかもしれないけど、その人たちに小山卓治ってこうだったんだよっていうものを、ライヴには負けるけど、届けたいと思ったのが一番強い。
卓治:内藤いつも言ってたじゃん「俺、アマチュアだから」って。そのアマチュアなりのこだわりみたいなものはあったんだよね。
内藤:もう続けていかないから、ルール違反だとか何だとか、言われようが何しようが関係ない。プロには徹するけどね。
アマチュアっていうことで言えば、小山ちゃんを最初に撮った83年の時って、プロの写真屋として俺はアマチュアだったと思う。必死にプロになろうとしてたけど。その時って、小山ちゃんにも言えるんだけど、引き出しがないじゃん。人間としてもミュージシャンとしても。俺もプロのカメラマンとして引き出しがない。だから、まずひとつ自分の中で、ここだけは人よりちょっと目立ってる、人よりちょっとうまいってところで金字塔みたいなのを立てた。それがプロなのかどうなのか分かんないけど、それがあれば強引にできるじゃん。そこの部分って結構力が出たりするんだよね。
それから小山ちゃんもギターが1本ずつ増え、ミュージシャンの友だちも増えたりして、引き出しがどんどん増えて、音も幅が広がってきて。俺もプロの写真屋さんとしては、どうやったって撮れるわけ。だからすげえ楽なんだ。コンセプトを立てた瞬間に、こう撮ってああやったらこうなる、みたいなのがすべて分かる。でも若い頃って、確かには見えてなかったんだよね。今回の作品っていうのは、そこに立ち返るわけでもないけど、映像の目はあっても、そこに対する引き出しがないから、後で気づいたっていうか、いみじくもそうなっちゃったんだけど、やっぱり20歳の頃と同じような感じ? ひとつのもので押し通してるっていう。
でも、これから映像やるって決めたら、5年くらいでワッと引き出しってできると思うんだよね。今回、制作に3年かかって、ずうっと自分のパソコンでやってきたから、ある程度のことって分かってきてる。でも今の気持ちはあえて、もう写真に帰りたい。
この間もカメラマンの友だちにこの作品を見せたら、「内藤ちゃん、これから映像やるの?」って言うから「やんねえよ」「なんでだよ、もったいない」。もったいないとかなんとかって問題じゃないんだよ。売れなくったって、とにかく写真に帰るんだよ。
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