「小山卓治・夢プロジェクト」に、新しく「未発表曲」を9曲、返礼品として出した。
熱心なオヤマニア(これはファンの間で生まれた造語)だったら、ファンクラブ〈ONE〉で公開した歌は知っているだろうし、歌ができた当時には何度かライヴで披露したこともあるが、初出しの歌もある。
酔いどれホーボー(カーニバル 原曲 1980年代)
246(HEAT OF THE NIGHT 原曲 1980年代)
近道(未発表曲 1980年代)
1980年代のデモテープは、熊本時代にバンドを組んでいて、俺より一足先に上京して音楽をやっていた友人宅でレコーディングした。当時はアナログの4チャンネルだったかな。
その友人は、俺のデビュー前後、まだThe Conxと組む前に、全国でのラジオ出演やコンベンションライヴにベーシストとして参加した。もう1人のピアニストと、3人で回っていた。
彼らとの最後のライヴは、1983/4/1、新宿ルイードで関係者を招いてやったコンベンションライヴの前半のステージだった。後半はThe Conxが登場してバキバキのロックをやり、SMILEYとテーブルに飛び乗った。
当時はフォークとロックの間に微妙な温度差があって、コンベンションを見に来てくれたフォーク寄りの評論家さんが後半のライヴを見て激怒したことを憶えている。
雑誌のインタビューで「ところで小山君は、フォークなの? ロックなの?」と聞かれる時代だった。
38スペシャル(未発表曲 1990年代)
Bara-Bara(未発表曲 1990年代)
これでチャラだぜ(未発表曲 1990年代)
湖の上(未発表曲)
おまえはゴージャス(未発表曲 1990年代)
この時期は、パーソナルバンドBACCHUSのギタリスト、島山信和君のマンションでレコーディングしていた。スネアの音など、かなり機材が進化しているのが聞き取れる。
BACCHUSのメンバー、未来敦史のコーラスも聞こえる。
BACCHUSの島山君は今は沖縄に、未来は広島に住んでいる。スティング宮本はバリバリの現役、SMILEYは今も俺のダチだ。
《ROCKS!》リリース後、ソニーとの契約を切り、次の手を考えていた時期で、たくさん歌を作っていた。もしその時期にレコード会社との契約があれば、アルバムが1枚できたかもしれない。だがこの頃の歌は、ほとんどハードディスクの奥にしまわれたままになっていた。
ちなみに〈湖の上〉の歌詞は、この後に作る〈太陽に手が届きそうだ〉に変化していった。
誰にもさよならを言わないで -尾崎へ-(吠えろ 原曲 1990年代)
この歌は少し特殊で、尾崎豊君が急死した直後、止むにやまれぬ気持ちで作った。発表するつもりもなく、ただ彼に伝えたいという気持ちだけで歌詞を書き、そのまま放置していた。
2003年リリースの《種》に収録した〈吠えろ〉で、メロディだけが復活した。
〈未発表曲ダイジェスト版〉(YouTube)
1983/4/1 新宿ルイード Photo : Junji Naito
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