人によっては、“中二病をこじらせた話”と取る人もいるかもしれないな。
原作は、1937年に出版された吉野源三郎の小説。マンガはだいぶ脚色されたところもあるような気がして、小説も読んだ。マンガで感じた違和感はなく、書いてあることがストンと腑に落ちた。
「ありがたい」は「有り難い」、つまり「そうあることがむずかしい」。
「ありがたい」が「感謝すべきことだ」という意味になり、「ありがとう」がお礼の心をあらわすようになった。
読みながらつくづく思った。80年も前の、思春期の子供へ向けての問いかけに、60を過ぎた今でも明確な答を出せていないなんて。
いや、だからこそ人生っておもしろいのかもしれないな。
「大人って、なっがいよ〜」というCMを思い出した。
昔、友だちの息子がまだ小さい時、何かでちょっと悩んでいて、アドバイスとまではいかないが「大人は楽しいよ」って言ったことを思い出した。少年が照れたように笑ってくれたのが救いだった。
そして、大人になってもその悩みはなくなりはしないということも、言っておくべきだったな。
ちなみに、マンガでは現代風の話し言葉に代えてあったが、小説では当時の口調のままだ。
「貴様が言い出したんじゃないか。ちゃんと知ってるぞ」
「へえだ! こっちは知らないや」
「じゃあなぜさっき舌を出したんだい」
「余計なお世話だい!」
マンガでは登場しなかった、友人のお姉さんの口調。
「考えてごらんなさい」
「実際、立派だわ。男らしいわ」
「まあ、分からず屋ねえ」
「見とれちまったのよ」
今は使わないね。当時の標準語というか、東京の言葉なのかな。
昔の日活映画とかで聞いた感じだな。