2025年11月29日土曜日

〈小山卓治 × 鎌田ひろゆき〉に向けて

  来週末のharnessでの〈小山卓治 × 鎌田ひろゆき〉のリハーサルをharnessで。
 いつもは12/30にこのジョイントをやって「1年、お疲れ様」という感じだったが、今年は12/30に江古田マーキーでやることになったから、ちょっと早めの日程になった。
 アレンジを確認しながら、セッション曲を2人でプレイ。「じゃあ来週よろしくね」とギターを置き、近所の居酒屋で軽く一杯。これも毎年のルーティーン。

 鎌田との付き合いも長くなった。1990年に共作したのが最初だから35年か。お互いにいろいろ(本当にいろいろ)あった。
 鎌田がharnessをスタートさせてからは、年に数回は必ず歌ってきた。コロナ禍の時期、ツアーどころか東京でのライヴもままならない中、harnessでだけはコンスタントにやった。〈昼ライヴ〉〈夜ライヴ〉なんていうのもあったな。

 5ヶ月ぶりのジョイント、楽しんでね。


〈小山卓治 × 鎌田ひろゆき〉
■12月6日(土) 東京 阿佐ヶ谷 harness




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2025年11月26日水曜日

富山ライヴで、全都道府県を制覇

  全国でライヴを続けてきて、まだ一度も行けていないのが富山県だった。
 その最後の県でのライヴが決まった。たくさんの人の手助けがあってのライヴだ。幸せすぎる。
 渾身の思いを込めて歌いに行くよ。

詳細と予約は、以下をクリック
〈小山卓治 ワンマンライヴ -The last prefecture-〉
■2026年4月18日(土) 富山市 ROCK BAR WILDSIDE




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2025年11月24日月曜日

『スプリングスティーン 孤独のハイウェイ』

  映画「スプリングスティーン 孤独のハイウェイ(Deliver Me from Nowhere)」を見た。
 音楽映画というだけじゃなく、家族とのトラウマからの回帰がテーマといってもいい。映画の中のブルースはステージで華やかにシャウトするのではなく、どこまでも深く自己の内面に入り込んでいく。
 最近よく作られるロックをテーマにした映画(ボブ・ディラン、クイーン、エルヴィス・プレスリー、ロビー・ウィリアムズなど。さかのぼればさらに多く)の中で、一番“陰鬱”で、一番胸に突き刺さった作品だった。胸が震えた。

 余談だが、ブルースが録音に使用するカセットの4シャンネルのレコーダー、TEAC 144 Portastudioを、俺も当時使っていた。

 1996年9月、オフィシャルファンコミュニティー〈OFF〉に、ブルースについて書いたエッセイがある。長いけれど、ここに記しておく。


改めてブルース・スプリングスティーンのことを考えてみた 

 1975年、19歳の僕は買ってきたばかりの《明日なき暴走》のアナログ盤に針を落とすところ。ブルースという男のサード・アルバムらしい。ハーモニカが流れだし、僕は「何だフォークじゃねえか」と煙草に火を。かたわらにはディランの《欲望》とトム・ウェイツの《クロージング・タイム》があったはずだ。
 唐突に、たくさんのイメージが頭の中で跳ね回り、演奏はグイグイと僕を引っぱり回して制限速度を越えさせる。あっという間に僕は真夏の夜のストリートに放りこまれた。そこではたくさんの男たちや女たちが、宝石のような夜を送っている。裏通りからメインストリートをのぞき見た僕は、カーニバルの熱狂の渦に巻きこまれる。そのカーニバルの先頭に立って、怒涛のようにほとばしる言葉と音を指揮しているのは、テレキャスターを振りかざして吠える路地裏の王様。
 シンプルなギターのリフ、ぶっといサックス、荒くれたドラム、コードを8分ではつらつと叩くピアノに、何か不思議な懐かしさを感じた。多分子供の頃に知らない間に耳に流れこんでいた遠いアメリカの夢のサウンド、あのゾクゾクする感じとでも言えばいいのか、それがレコードから汗のように染みだしている。その上で、割れんばかりのシャウトとかすれたつぶやきで物語を紡ぐ男は、今までに会ったこともないようなやつだ。レコードを聴きながら、僕は何度もこぶしを握っていた。すげえ、70年代のミーイズムの霧の向こうから、髭ヅラの救世主が飛びだしてきた!

 当時の僕は、プロになるという明確なビジョンも、未来も展望もないまま、バイトをしながら曲を作り、客のいないステージに立つ日々だった。ナイーブとか優しさなんて言葉が大手を振り、フォークがニューミュージックになっていくご時世に、今にして思えば僕の歌は影を背負いすぎていた。痛みを歌いすぎていた。田舎町に暮らし、すべてがどん詰まりで方向を見失っていた。
「おまえの歌は暗いよ。文字通り音を楽しむのが音楽なんだぜ」
 そう言われて反論できないでいた。違う、それだけが音楽じゃない。内心では強く思っていても、その気持ちをうまく具現化してくれるアーティストは当時いなかった。ジョン・レノンは空の上の方で所在なげにしていたし、ボブ・ディランは別のことを考えていた。トム・ウェイツは最初からうつむいていた。みんな少しずつ僕の想いとはニュアンスが違っていた。
 僕が聞きたかったのは、今まさに僕が佇んで、うなだれて、殴られた頬を押さえて立っている街角の、光と影の歌だった。このどん底から切実な想いと共に一緒になってはいあがってくれる、ピュアな魂を持った街角のチンピラの歌だった。
 ブルース・スプリングスティーン。彼こそ僕が待ち望んでいた男だった。

 1枚のアルバムを聴きながら、こんなに遠くまで旅をしたことはなかった。いくつもの街路を抜け、たくさんの人間たちとすれ違い、そして最後にたどり着く〈ジャングルランド〉の圧倒的なサックスソロ。まるで映画のタイトルバックのようにラストシーンを締めくくる。長く熱い夜が終わり、晴れ晴れしい朝が来る。そこに立ちつくす1人の男の後ろ姿。車のエンジンを切った直後の濃い沈黙。
 針が上がる。僕は黙りこんでしまった。僕の心を占拠していたのは、全力疾走を終えたランナーのカタルシスと、途方もない徒労感、飢餓感だった。
 ふと、映画『アメリカン・グラフィティ』を思いだした。たった一夜のストーリー。50年代のご機嫌なロックンロールに乗せて、ティーンエイジャーの恋があり、喧嘩、友情、別れがある。一瞬のように短くて永遠のように長い美しい夜が明けたラストシーンで、フッと音楽が途切れる。そこに続くのは、登場した男たちのその後の物語。1人は自動車事故で死に、1人は保険外交員になり、1人はベトナムで行方不明になり、1人は作家になりカナダに在住。甘美な一夜の後にあったのは、そんな冷徹な現実。
 ぽっかりと胸に空いた穴を埋めたくて、もう一度レコードに針を落とす。何度聴いても同じ虚ろさが襲ってきた。後は自分で走るしかないんだと感じた。この乾きを癒すためには、何事かを達成するためには、届かなかったゴールを自分の足で探すしかない。

 僕は新しい曲を作り始めた。そこには必ずといっていいほどブルースの描きだしたイメージが浮かんできた。ブルースのように走り、ブルースのように歌おうとした。しかし何かが違っていた。ブルースが、そしてアメリカが持っているイノセンスと楽天性が僕にはなかった。逆にアメリカが内包している孤独感だけが、ウェットさを増して僕につきまとった。僕は自分の方法を見つけなければいけなかった。

 1982年、僕は東京へ出た。デモテープをきっかけにデビューが決まったその年、《ネブラスカ》がリリースされた。《闇に吠える街》《ザ・リバー》と、虚ろな目をした顔でジャケットに収まっていたブルースは、影をずっと深くしていた。《ネブラスカ》のジャケットには顔さえなく、モノクロの荒涼とした風景に、血の赤。
 ノイズだらけの歌は、いきなり死を描く。ブルースの歌には、以前から死の影がつきまとっていた。実際に歌の中で人が死に、手痛い目に会い、心に傷を作る。倒れ、はいつくばり、それでもひとかけらの希望を密かに強く信じている。そこに僕は惹かれていた。だが《ネブラスカ》には希望すらなかった。あっさりと人が死に、なぜかと問われないまま歌は終わる。激しい孤独、激しい痛み。「後は自分で考えろ」と突き放される。
 希望がないんじゃない。ブルースはあえてそれを歌わなかった。歌わないことで逆にギリギリの希望を感じさせる。心から希望を信じることのできるやつだけが、本当の絶望を歌える。
 ブルースはまるで他人事のように、ある男やある女の物語を淡々と語る。等身大の自分を歌うことよりも、もっと難しい作業だ。歌を作る時、その男に自分がなりきらなければ歌はできない。殺人者の歌を作る時、ソングライターは心の中で人を殺している。少なくともその男と自分とに接点がなければ歌は成立しない。その歌を作る意味はない。
 僕が作る歌に登場する人間たちも、極端に言えばその誰もが僕だ。人を殺す男も、女を裏切る男も、そして女さえも僕の一部だ。だからその歌を歌うことは今でも痛い。
 ブルースも、たくさんの傷ついた人間たちを歌いながら、彼らの生きざまを背負っているはずだ。だからこそ僕はブルースを信じた。さほど売れなくても《ネブラスカ》は僕のフェバリットになった。

 翌年、僕ははからずもブルースと同じ系列のレコード会社と契約し、同業者となった。聴く側から聴かせる側に変わったことで、気持ちも変化した。例えばコンサートを見る時は、客席にいながらセンターマイクに立っている気持ちで見、リビングのスピーカーはレコーディングスタジオのスピーカーに変わった。おかげで、よほどのパワーを持ったアーティストの作品でなければ感動できなくなった。それでもまだブルースは別格だった。
 レコード会社の人間から、ブルースが新しいアルバムをレコーディングしているという噂を聞き、僕は胸を躍らせて待った。

 すでにメガヒットになったというニュースが入った頃、僕は《Born in the U.S.A.》を手にした。
 信じられないスネアの音でアルバムは始まった。2曲目、3曲目と聴きながら、ふと僕はいつものように胸が躍らない自分に気づいた。何かが違う。必死に耳を澄ませたが、聞こえてくるのは冷めたサウンドと、《ネブラスカ》よりもメロディラインのない歌と、パターン化した登場人物ばかりだ。
 男が働いている。週末に遊びに行く。女と出会う、あるいは事件が起こる。そしてオチ。オチの部分だけAメロを展開して、サウンドに変化をつける。くり返されるサビが、最後のリピートでダブルミーニングになる仕掛け。《ザ・リバー》で成功した方法だ。
 登場人物たちは、それぞれに歳を重ねている。過去をふり返ったりもする。それに自ら気づき始めているが、うまく受け止めきれないでいる。枯れているんだか熱いんだか分からない。
 ブルースは本当にこんな歌を歌いたかったんだろうか。少なくとも〈ダンシング・イン・ザ・ダーク〉ではなさそうだ。それにしても、またもや「ダーク」だ。内容は暗い。ステージに女の子を上げて、脳天気に踊るような歌じゃない。
 アルバムを聴きながら、僕はいつの間にか〈Born to run〉を待っていた。〈ハングリー・ハート〉を探していた。「今さら何を言う」とブルースは笑うだろう。アーティストにはアーティスト年齢がある。同じタイプの歌をもう一度作ることはナンセンスだ。次のステップへ行くことをあえて選ぶことで、アーティストは苦悶する。
 ただ、同じような気持ちで歌を作ろうとすることは何度もある。完成する形が違うだけだ。積み重ねてきた人生を賭けて歌を作れば、おのずとできあがりの形は変わる。だがその奥に潜んでいる熱気や毒は同じだ。それすらもこのアルバムからは感じられなかった。
 雑誌で見たブルースは、いつの間にか太股のようなマッチョな腕をしていた。額に巻いたバンダナ、着古したシャツ(光り物のジャケットで、週末の夜をかっこよく決めようとしていた男が)、それが労働者階級を装うステージ衣装に見えた。厚い筋肉までが、本音を隠すための鎧に見えた。“アメリカのブルース”を“世界のブルース”にするために、スタッフが集まって開かれているプロモーション作戦会議の図が想像できた。そのテーブルの隅で、苦虫を噛み潰しているブルースの姿も。

 ブルースは僕から急速に遠ざかっていった。
 僕は東京を舞台にした物語を書き続け、アルバムを作り、自分のスタイルをつかんでいた。もうブルースの助言はいらないな。そう思うようになった頃、《トンネル・オブ・ラヴ》がリリースされた。
 ブルースはストリートという立脚点を、ポーチやリビングへ移したように思えた。ブルースの愛の歌を聴きながら、僕は彼を見送っているような気分でいた。
 穏やかな目で、ブルースは僕をこう諭していた。
「いつまでもギラギラしてばかりはいられないんだ。歳と共に、望むものは変化していく」
 何だか自分も急に歳を取ったような気がした。お別れだな。CDが止まった時、僕はそう感じた。

 ブルースがまたアコースティックなアルバムを出すというニュースが届いた時も、さほどの驚きはなかった。しかしそのタイトルが《the ghost of tom joad》と分かった時、不思議な偶然を感じた。
 トム・ジョードは、スタインベックの小説『怒りの葡萄』の主人公の名前だ。
 僕はその頃ちょうど、ヘミングウェイの短編に深く入りこんでいた。ヘミングウェイの短編のエッセンスを持った歌を作りたいと考えていた。ほんの短い物語の中で、音楽でいえば3分程度の中で、言葉をギリギリまでそぎ落とし、物語のほんの瞬間を捕らえるだけで、すべてを表現する。例えれば、砂時計の砂がガラスのいちばんくびれたところを通り過ぎる瞬間だけを歌う。そして最後の1行で遠くへ突き放すニヒリズムの世界。
 もうよほどのものでなければ音楽では感動できなくなっていた。感心はしても、つき動かされることはなかった。僕の関心は小説へ、とりわけアメリカの初期の文学へ向かっていた。そこへ“tom joad”だ。

 僕はCDのリモコンを持ったまま絶句していた。そこにはまさに僕がやりたいと願っていた世界があった。
 ブルースは深く静かに物語を紡ぐ。希望が歌われないどころか、彼らが何を思っているのかさえも歌われない。恐ろしく淡々と物語は進む。背筋が凍るような静けさだ。人は殺し合い、騙し合い、密かに愛し合い、消えていく。
 ブックレットに載っているブルースの姿は、まるで農夫だ。自分を必要以上にかっこよく見せようとか、取り繕おうとか、そんな様子はいっさいない。向上もない。回顧もない。諦観もない。だがここには僕にとって重要な何かがある。“street”でも“darkness”でも“promise”でも“run”でもない何か。
 アルバムを聴きながら何度も鳥肌が立った。聴き終わり、僕は21年ぶりにこぶしを握って叫んでいた。
「そんなおまえを待ってたんだ!」

 初めて僕が《明日なき暴走》を聴いてから、ブルースも僕も21の歳を取った。人生も後半だ。それが何だってんいうんだ。自分の中に物語を見つけることができる限り、歌は生まれる。後はそれを仕上げてステージに上るだけだ。それが自分で選んだ仕事なんだから。
 僕は今、アコースティックギターを抱えてステージに立つ。バンドを従えてロックンロール・ショーをくり広げることもできるし、同じ曲をギター1本で歌うこともできる。大切なのはスタイルじゃない。歌がオーディエンスの心の中で輝くかどうかだ。それにアコースティックギター1本でも、そのストロークでロックンロールを奏でることができる。それを僕に教えてくれたのが、ブルースだ。
 ロックンロールとは、生き続ける魂の力のことなんだ。




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2025年11月23日日曜日

サンキュー、harness!

  ここのところTAKUJI, HISASHI & TOBENで一緒に活動しているトーベンさんと、3年ぶりになる阿佐ヶ谷 harnessでのジョイントライヴ。来てくれたみんな、ありがとう。
 ひょうひょうとして温かいトーベンさんのソロに聴き入った。
 アンコールの4曲は、TAKUJI, HISASHI & TOBEN マイナス HISASHIの「たくべん」でプレイ。

 harnessでのライヴは、年内、年明けと続く。詳細と予約は以下をクリック。

12/6〈小山卓治 × 鎌田ひろゆき〉(ちょっとクリスマスを意識して)
1/31〈小山卓治×白浜久〉

年内のライヴ。

12/20〈小山卓治 × 松藤英男 with 西本明 SPECIAL LIVE〉
 『小山卓治・夢プロジェクト』アルバム制作記念
鳥取 米子 Hi!High?Pecadoss(ハイハイ ピカドス)

 12/30 〈小山卓治 with SMILEY〉東京 江古田 マーキー
 マーキー初出演 25周年記念ライヴ


■セットリスト
01.DOWN
02.ジオラマ
03.花を育てたことあるかい
04.もしもあの時
05.ある夜の電話
06.P.M.11:11
07.Rock’n Roll's Over
08.太陽に手が届きそうだ
09.祈り

E1.さらば恋人 [with 湯川トーベン]
E2.Butterfly [with 湯川トーベン]
E3.たんぽぽ [with 湯川トーベン]
E4.風景 [with 湯川トーベン]

E5.傷だらけの天使 [with 湯川トーベン]




俺とトーベンさんをつないでくれた (故) 中野督夫さんと Photo : Konchan

2025年11月15日土曜日

三浦久さんの庭

 10/4に開催されたOREADライヴの翌日、三浦久さんのご自宅へ行き、穏やかな時間を過ごした。
 写真はご自宅の庭。三浦さんのリクエストで、ベチコがバイオリンを弾き、それから2人で〈ひまわり〉をやった。

 ベチコが庭でバイオリンを弾いている貴重な動画、そして今年のOREADライヴの写真、1時間のライヴ動画(河村博司君と三浦さんとのセッションを含む)が、《OREAD写真集》の購入特典として観覧することができる。
 写真集にパスワードが封入されているから、買ってくれた人は楽しんでね。

詳細と購入は以下をクリック
『小山卓治 10年目のOREAD・ライヴ記念写真集《OREAD》』






photo : Masashi Koyama, Takuya



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2025年11月10日月曜日

サンキュー、北海道!

  1泊2日の強行ライヴだったが、長旅をした気持ちになるほど濃い2日間になった。
 1曲もかぶらないセットリストで臨んだ。いつも来てくれるお客さん、何10年ぶりのお客さん、初めてのお客さんに向け、喉を振り絞った。最後は熱い手拍子と笑顔に包まれた。
 来年も必ず行くよ。また会おう!


セットリスト

■STORMY MONDAY
01.Hustler
02.HEAT OF THE NIGHT
03.Shape Of Life
04.DOWN
05.いつか河を越えて
06.Rock’n Roll's Over
07.Butterfly(カバー)
08.天使の歌う朝
09.Midnight Primadonna
10.PrimaとNoir
11.ばあちゃんごめんね
12.冒険が始まる
13.ダリア
14.傷だらけの天使
15.カーニバル
16.Aspirin

E1.もうすぐ
E2.1 WEST 72 STREET NYNY 10023

E3.下から2番目の男


■純喫茶 はま灯台
01.少年と風
02.PARADISE ALLEY
03.雨の音を聴きながら
04.Blind Love
05.花・太陽・雨(カバー)
06.こわれた自転車

深見順也ソロ

07.西からの便り
08.汚れたバスケットシューズ
09.君が本当に欲しいもの
10.ひまわり
11.Bad Dream
12.最終電車

E1.Show Time
E2.種の歌 [with 深見順也]

E3.Soulmate


カエデと雪 Photo : Takuji


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2025年11月6日木曜日

北海道ライヴ 真駒内の思い出

  今年の北海道ライヴは、どちらも初めての場所になる。
 札幌市内のSTORMY MONDAYは、しゃれてて渋い空間のようだ。

 2日目のはま灯台は、真駒内にある。
 真駒内というと、忘れられない記憶がある。
 デビューした1983年の8月3日、RCサクセションとサザンオールスターズのジョイント(雰囲気的にはガチンコ勝負)のオープニングアクトとして出演したのが、真駒内スタジアムだ。
 上京して1年と少し、デビューして半年もたっていなかった時、2万人の前で歌う。今だから言えるが、足がすくんだ。2万人というと、視界のすべてがお客さんだった。2ヶ月前にリリースしたばかりのアルバムの歌を、喉をふりしぼって歌ったが、2万人のノーリアクション。何もできなかった、というのが正直な気持ちだった。
 当時、RCサクセションは大ブレイク中。サザンも次々とヒットを飛ばしていた。
 先にステージに上がったのはサザン。ヒット曲を並べ、最後は〈いとしのエリー〉。だが、個人的な印象だが、2万人は動かなかった。
 サザンがステージを降りた時から、客席からざわざわと熱気があふれてきた。RCがステージに登場した途端、パニックのような歓声が上がった。RCは、2万人を完全に掌握していった。
 俺はそれをステージそでで見ながら、実力の差を思い知っていた。

 あれから42年。清志郎さんは亡くなってしまったが、俺はまだ歌い続けている。


詳細と予約は以下をクリック
■11月8日(土)
北海道 札幌 Blues & Rock Bar STORMY MONDAY(ストーミーマンデー)
■11月9日(日)
北海道 札幌 真駒内 純喫茶 はま灯台
ゲスト:深見順也



北海道へ向かう機内から Photo : Takuji


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2025年11月4日火曜日

サンキュー、名古屋!

  PIANO BAR Club Adrianaは、美しく音が響く空間だった。
 ベストアルバムの濃い曲が中心のセットリストを、生声で2日続けて歌うのは大変だったが、来てくれたみんなの胸に歌が届くのが見えたような気持ちになれた。
 初日には、ずっと歌は聴いてくれていたがライヴは初めての人。2日目には「シブヤスクランブルストーリーズ」のTシャツを着た初ライヴの人。続けてきて幸せだと感じる時だ。

 そして、次の名古屋でのライヴが決まっている。

2/28(土) 〈夢プロジェクト〉新アルバム レコ発ライヴ〈featuring 西本明, 長田進〉
名古屋 栄 Brushup

 豪華なメンバーでのライヴだ。詳細は近日中に告知する。


■11/1 セットリスト
01.気をつけた方がいいぜ
02.夕陽に泣きたい
03.HEAT OF THE NIGHT 
04.DOWN
05.P.M.11:11 
06.Blind Love
07.煙突のある街
08.NO GOOD!
09.種の歌

インターバル

10.Midnight Primadonna
11.PrimaとNoir
12.Once 
13.夏の終わりに
14.Butterfly(カバー)
15.天国のドアノブ
16.傷だらけの天使
17.Aspirin 
18.世界はすばらしい

E1.2人のはるか
E2.1 WEST 72 STREET NYNY 10023

E3.夢の国へ

■11/2 セットリスト
01.Night Walker 
02.PARADISE ALLEY
03.微熱夜
04.君が本当に欲しいもの
05.裏窓
06.青空とダイヤモンド
07.ユリエ
08.長すぎる夜と遠すぎる朝
09.ダリア

インターバル

10.ハヤブサよ
11.ばあちゃんごめんね
12.前夜
13.花・太陽・雨(カバー)
14.成長
15.こわれた自転車
16.Bad Dream 
17.最終電車

E1.もうすぐ
E2.いつか河を越えて

E3.Soulmate




Photo : Dosyo


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